16歳の枠と今の枠とは、太陽と月のような関係、太陽と月が合体する。
この枠は、無限の過去と無限の未来に繋がっている、16歳にも繋がっている、軌跡道程もその中にある、全体全面まで俺だとすれば、16歳も軌跡道程も枠にすることは簡単容易な筈だ。ここにもまた神はおわし給う。これと同じ精神をもって、我々はすべてのものに何がしかの自然と美が宿っていることを理解し、あらゆる形態の生命の研究に向かうべきである。計画的な意図がでたらめな偶然と対比されてはっきり目に見えるのは、何よりも自然の作品においてだからである。そして生み出され作り出されるどんなものも、何か完全な形相を現実化するよう意図されていて、その完全な形相は美の資格を有するのである。自然の作品がそれを現実化するようにと考案されているところの完全な形相とは、その生物の種的形相のことである。完全化の一つのタイプとして考えれば、種の形相は、生命の動的な力がそれを希求切望しているようにみえるところの一つの終極目的である。有機体の生活史全体が、そもそもの最初から、現実化の結果である形相を予見することによって方向づけられているように見える。自分の色々な思考を、存在する実体の世界、即ちこの経験的世界へと呼び返す。ここにおいて、すなわち誕生し成長し自分たちの種を再生産するこの生き物たちにおいて、それらの組織形成の秘密を知り当てることさえ出来るなら、そのとき彼は実在の核心にして中心であるものを眼前にしているのである。その思想の根幹が綴られている。肉体、エーテル体、アストラル体、自我という人間存在のヒエラルキアを解明し、宇宙論、人間論の中で、めくるめくような宇宙史の壮大な展望の下にマクロコスモス（宇宙）とミクロコスモス（人間）との関わりを後付け、進化の法則と意識の発達史、古代秘儀の本質、輪廻転生論、悪魔論、霊的認識の方法などを記し、過去と現在と未来についての常識を覆した前代未聞の神秘学が展開される。この一事において自らを克服したるとき、初めて、我は他のより大いなる事柄に於いても、自らを克服するであろう！かくして、来るべき勝利が我が完成の封印であれよ！その時までは、なお、我は未知にして定かならざる海の上をゆく。おお、我が生命の午後よ！黄昏の前の幸福よ！沖に浮かぶ港よ！不安のうちの平和よ！我いかに、汝らすべてを猜疑することよ！おお、我が頭の上の大空よ、汝、浄きものよ、深きものよ、光の深淵よ、汝を観じつつ、我は聖き欲望に戦慄する。汝の高き中に身を投ぜんとする。之ぞ我が深刻である。我はその神よりの友である。我らは怨恨をも戦慄をも根源をも共有する。げに我らは太陽をも共有する。我らは相共に、すべてを学んだ。我らは相共に、我らを超えて我らへと登り、雲もなく微笑するを学んだ。我は一人彷徨した。ただ翔ることが、汝の中に翔り入ることが、我が意志の全部であった。過去も未来も全部の時期あらゆる頃あらゆる時の枠が寄り拠り集まったのが今の枠なのだ。それでも自分の力は無限だと信じているから、本を読み紙にもインターネット上にも書き込み入れ印刷することで、全体に染み込み渡り浸透し、全部の知識も我がものとし更に有効に使え組み合わせ新たな創造も生まれる。既存の枠さえ突き破れる。究極完全完璧なる至上至高の理想的完成形は既に知り理解し認識しているのだ、後は其処に引っ張って持って行き一つに合一するだけだ。矯正するのだ。人間の魂は一つの終極を予め見て欲求することができる。彼の色々な行為が目的によって導かれているものとして説明されるのは正しい。世界は理想的完成を目指す計画的意図の産物として理解可能である。その知的主体は一人の神的な工作者の知性であって、彼は善き者であるから、可能な限り彼自身に似て善きものであるような作品を創造したいと願うのである。完全なるイデアは模範もしくは範型であって、彼はそれらへと照合しつつ、この宇宙を空間及び時間という存在条件の元に作り上げる。宇宙それ自体は一つの生き物であり、身体と共に魂を持つ。世界霊魂は音楽的調和の比例と数によって調律されており、その身体は幾何学的形相による限定と輪郭を持つ。何でだよ？状況から見て、枠が中心核にあり完全に中心核であるのが自然当然当たり前な流れだろう。まだ？もっと劇的な変化が起こっていいはずだ。過去の自分を16歳の枠を手に入れろ。己を磨く天与の機会、この言葉を信じ困難を乗り越えた。
