16歳まで行き届き枠に取り込み入れ丹田としなり、中心核枠として完成しさせされる。時が経つほど時間が流れるほど、領域も広げ広がって行き、16歳も軌跡道程も中心核も取り込み入れ枠とするなる。16歳一点今全面、枠としては成長成熟超熟したけど、領域は広がり若き日も取り込み入れるから若返れる。生きる目的は、この肉体の枠が16歳以上になること、意識として全体全面と合一すること、今一気にやれ！！そのもの全体全面から中心核枠に中心核枠から16歳丹田に集め集まる一点集中！！16歳丹田から中心核枠へ中心核枠から全体全面まで俺へ広げ広がる全面展開(拡散)！！あーあ、このスピードラーニング英語版は完全に失敗した？(日本語も入っているかと思った)・・英語に耳を慣れさせるには役立つ？・・もっとよく見るべきだった・・出品者ももっと詳しく説明するべきだよね、２万も無駄にした？宝くじかロトくじ当て当たって取り戻してくれー！！海や山、空、風景、内部の闇、宇宙、全体を感じ気を吸い込み中心核枠に集め集まる。枠は巨星、巨魁、塊、唯一無二の光り輝く絶対圧倒超人的存在、中心核だ。枠のそれぞれの各部分が全体の中心核のそれぞれの各部分に対応しているから、やはり枠は重大重要だ。枠は太陽系にも宇宙にも中心核にも全体全面にもそれぞれ各部分に対応している。枠を太陽系に例えれば心臓が太陽であり各内臓が各惑星である。中心に居座り坐り据わり中心核枠となり先端の専門分野まで演繹的に知り理解し尽くす。哲学は諸学の原理の学である。哲学の原理は原理なるがゆえに無制約的な原理である。措定するが故に、また端的に措定される自我である。自我は自我であるという最高の原則によって全体が支えられる。絶対的主観、絶対的自我である。自我はかように思惟と存在との統一として、その思惟そのものによって自我を生む。自我は一切の存在（実在）の根源である。人類が発見してきた方程式・・ニュートンの運動方程式、マクスウェルの電磁場の方程式、アインシュタインの一般相対性理論の方程式など・・を見て、私たちは「美しい」と思う。それらが簡潔であり、実に多様な現象に適用でき、未知の現象を予言する力を持っている、そんなことを暗々裏に知っているからである。つまり抽象的な科学の数式に対して感じる「美」は、芸術や大自然を前にして持つ感覚的で直観的な美意識に留まらず、その背景や意味までを包含した概念なのである。金も女も英語力も欲しい、全世界中から何もかも全部今中心核枠に集め集まる。宝くじもミニロトも当て当たる。この英語CDでも間違えて買って失敗したし、高値で買ったゲームも捨て値で売ってしまったし、株でも大幅な損が出てるし、次こそは当て当たる。ソフトバンクとボーダフォンとマイクロソフトで全面提携世界大展開して、グーグルに押され捲ってるｍｓｎと米ヤフー合併して株も上がるといいなー。意識だけで全体を包み込むイメージ！！枠も完全に繋がり解放しされた。「これからは」優れられる。強引にでも枠を引っ張り引き出し上げていくだけだ。頭にも心にも体にも詰め込み入れていく。過剰な負荷負担を掛ける事で試練を与え続ける事で能力の限界を越えた難問を突き付ける事で引っ張り引き上げていく。枠に充溢充満充実しさせされ能力を引っ張り引き出し上げていく。16歳一点から時が経ち時間が流れ今全体全面まで、俺は16歳から全体全面、枠は16歳から軌跡道程から中心核、16歳も今枠に現存している。時空間的に時空間を超越した全体全面である。広げ広がり切り一つに合一する。中心から全先端まで基本になる考え方からあらゆる専門分野まで知り理解し尽くす、お前なら御前だけが出来る。現実の問題の本質は何で、何が枝葉の問題かを見極める全体眼が必要だ。大きく捉える眼、大きく物事を位置付ける地図を自分の中に持つ。大局的巨視的な眼で見るんだ。学問は哲学を中心にして有機的な統一を保って行われるべきものであり、そのためには大学の研究の自由を確立する必要があると説く。学問や芸術においても、特殊なものは、普遍的なものや絶対的なものを己の内に宿す限りにおいてのみ価値をもつものである。幾何学や数学は精神を浄めて純粋に理性的な認識に達しせしめる。人間の全人格を感動させ、その本性を全面にわたって感化する哲学は、精神を一面的教養の拘束から解放し、これを普遍者と絶対者の境に高めるに一層相応しい力を持っている。個々の専門のための特殊な教養の前に学問の有機的全体の認識が先立つ。一定の学問に身を捧げる者は、その学問がこういう全体の中で占める地位とこの学問の生きた魂である特殊な精神とを、またこの学問を全体の調和的構造に結び付けるこの学問の完成の方法を、従ってまた、この学問を彼が自由人として全体の精神において考えるために、彼自身この学問の弁え方を熟知する。現代、学問と芸術における一切がますます激しく統一に向かって進むように見え、それらの領域における一見最も遠く離れていると見えるものさえも互に相接し、中心や中心の近くに起るあらゆる衝撃が、ますます速く直接に部分にも伝えられ、直観の新しい器官が、ますます普遍的にすべての対象に対して形成されつつある。新しい時代を誕生せしめる。高貴なものの維持と完成とは、特に青年の世界の新鮮にして健全な力にのみ期待される。それは端的にただ一なるものであり、一切の知識を包んでただ一なるものたらしめるそれ自体において無条件なる知識の理念、現れている観念的世界の種々の段階においてのみ分岐してはいるが、測り知れぬ智恵の樹の全体となって伸び拡がる根本知の理念である。それは一切の知識の知識なるがゆえに、どんな種類の知識においても必ずなされる要請或は前提を、この上なく完全に、そのまま一般に充たしまた包含する。こういう前提は対象との一致とか、普遍への特殊の完全な融合とか、どういうふうに表現されてもよいが、それは真に観念的なもののみがそのまま真の実在的なものであるという一層高い前提によって考えられる。一切の学問が学問たるための通路である。無条件に観念的なものと無条件に実在的なものの本質的統一は、同じものが前者でもあり後者でもあるということによってのみ可能である。それがまさに絶対者の理念である。自己に関しては理念が存在でもあるという絶対者の理念である。だから絶対者はまた知識のかの至上の前提であり第一の知識そのものである。この第一の知識によって、他のすべての知識は絶対者の内にあり、またそれ自身絶対である。完全な絶対性においてある根本知は、もともと絶対的＝観念的なものである第一の知識にうちにのみ棲まうのであるが、それは我々自身にとっては万物の本質として、また永遠なる概念として、我々自身によって構想されているのであって、我々の知識はその総体から見れば、かの永遠なる知識の模像として定められているからである。もとより総体として見られた知識のみが原型的知識の完全な反映たり得るのだが、しかしすべての個々の知識も、あらゆる特殊な学問も、この全体のうちに有機的部分として含まれている。すべての知識は神的存在と共に生きようとする努力であり、またその形象が可視の宇宙であり、その出生の血が永遠の力の中心であるような根本知への参加であるということが認められてい
