詩人とはただ、己によって生き動き自己の最も内奥の本質をも看破しているような人物たちによって、自分が囲繞されているのを見ることによってのみ詩人である。人は絶えず生き生きとした劇を見、常に諸々の精神に取囲まれて生きるならば詩人である。人はただ、自己を変え、他の肉体と霊魂とを通じて語りかける衝動を感じさえするならば戯曲家なのである。ディオニュソス的な感情は、群集全体に、自分たちと内的に一つであると知っている精神の群に、自分たちが取囲まれているのを見るという芸術的天稟を分かち与える。その魅惑の中にディオニュソス的な陶酔者は、自己をサチュロスと見、サチュロスとして彼は今度は神を見る。この新しい幻想をもって演劇は完璧となる。その眼差の見るものは、金色の光の屈折から昇って来たように極めて充実して若々しく豊かに生き生きとし憧憬に溢れている無限というものである。ディオニュソス的生と悲劇の再生とを信ぜよ。救済されるべき悲劇的人間であれ。苦しい闘いに備えよ、必ずや神の奇蹟を信ぜよ。大体狭い小さな枠に囚われた精神は駄目だ、過去のトラウマも他人への激烈な恨みも小さなこと、柵を捨て去るんだ。そのもの全体全面の俺の中で内で内部で生々流転想起している。創造と維持と破壊、生まれ育って更に新しく生まれる。愛する女性が欲しい、愛の対象が欲しい。ＳＥＸ三昧の日々を愛欲に溺れる生活を送りたい！！
