【西田幾多郎＋森瞬（舜）＋ニーチェ＋・・】
未来の自分は現在の自分を含み、現在の自分は過去の自分を含む、過去の自分は現在の自分に含まれ、現在の自分は未来の自分に含まれる。人間は肉体においても精神においても男性的要素と女性的要素との結合より成った者、両性の相愛するのは二つの要素が合して完全なる人間となる為、男女の両性が相補うて完全なる人格の発展ができる。主観的意識も客観的実在界も同一の現象を異なった方面より見たので、具体的にはただ一つの事実があるだけである。世界は自己の意識統一に由りて成立し、自己は実在の或特殊なる小体系である。仏教の根本的思想であるように、自己と宇宙とは同一の根底をもっている、直に同一物である。自己の心内において、知識では無限の真理として、感情では無限の美として、意志では無限の善として、皆実在無限の意義を感ずる。実在を知るとは自己自身を知る。実在の真善美は直に自己の真善美、アウグスチヌスに従えば神より造られたる自然は凡て善である、本質の欠乏が悪である。神は美しき詩の如くに対立を以て世界を飾った、影が画の美を増すが如く、もし達観する時は世界は罪を持ちながらに美である。ファウストが人世について大煩悶の後、夜深く野の散歩より寂しき己が書斎にかえった時のように、夜静に心平なるの時、至誠の感情が働いてくる。最深なる要求と最大の目的とは自ら一致する。内に自己を鍛錬して自己の真体に達すると共に、外自ら人類一味の愛を生じて最上の善目的に合うようになる、これを完全なる真の善行という。真の自己を知ることこそ真の善、真の自己は宇宙の本体である、真の自己を知れば人類一般の善と合し、宇宙の本体と融合し神意と冥合する。宗教も道徳も実にここに尽きて居る。真の自己を知り神と合する法は、ただ主客合一の力を自得するのみ、この力を得るのは偽我を尽くしこの世の欲より死して後蘇る。天国は剣の影にある。此の如くにして始めて真に主客合一の境に到る。基督教ではこれを再生といい仏教ではこれを見性という。彼は未踏の道を前進して行く、彼がさすらって行けば行くほど、彼の力は増大して行く。大火事はそれ自身の風を巻き起こして、それによって勢を増され拡げられてゆくが、賢者の場合もそれに似ている。私は、神が私をして神を免れしめ給わんことを、神に希う、と言ってもよいか。自己を超越して高く休らう。現存在の最大の生産性と最大の享楽とを収穫するための秘密は、危機に生きるということ！町を火山の上に築け！舟を未航の海に送れ！ついに認識が君に相応しいものへと手を伸す、認識は支配し所有しようと欲する、君も認識と共に欲する。瞬間を最も深く味わいながら、涙によって、また幸福者の藍色の憂愁全体によって圧倒されること、これらの一切が自分の所有であり自分の状態、この幸福をもって魂の中で太陽の下での最も苦悩に耐える生物である！この価値を支払うことによって人は現存在の波がこれまで岸辺に洗い上げていた貴重な貝を贖う。人はその所有者として苦しみにおいていよいよ繊細となり、そしてついには余りにも繊細になる。小さな不満さえも結局は生を嫌わしいものにするに足りる。生が一年一年といよいよ豊かになり望ましいものとなり秘密に満ちたものになるのを、私は眺めている。偉大な解放者が、生は認識者の実験であって、危険と勝利との一世界であり、その世界の内において、英雄的感情も舞踏と闘技との場を持っている。生はその認識の一手段、この根本命題を心に収めて、人は果敢に悦ばしげに生きる。最も遥かなる世界に、お前の輝きはある。彼方へ行く、自信の把握とを恃む、広々と海は開け青い虚空へジェノアの船は進む、一切が新たに煌めき真実は時空の上に眠る、無限の眼のみ巨きく。科学は塗り替えられていくけれど、哲学や芸術は長く残るものほど価値があると言える？
