いよいよ最後の一線を踏み出し越えた。自分の過去の経験を保存する。その経験の保存および記録によって記憶する。過去が現在に対して附け加える。後になって初めて、多くの細部が相寄って一つの全体的な意味になる。女を抱ければ超人になれる？子供を作れれば枠の領域を広げられる？また全部の濁った心も飛んでスッキリ澄み切った透明な優しい心になった。人間が自然の合目的性と呼びまたそうしたものと理解しているものは、実際には世界の統一性、原因と結果との調和、自然の万物がそのうちにありかつ作用している連関である。自然は共和主義であり神は君主である。神はかつて家父長的君主であったが、今は立憲君主である。法律に従って統治する。精神は肉体、感官と共に発達する。それは感官と結び付いている。頭蓋、脳髄の由来するところから精神もまた由来する。器官の由来するところからその機能もまた由来する。精神的活動もまた肉体的活動である。自然を神に依存させるとは、世界の秩序と自然の必然性を意志に依存させることを意味する。人間が一般にどのようにして主観的なものを客観的なものに変えるか、すなわち、どのようにして人間のうちにのみ、その思考、表象、想像の内にのみ存在するものを外に存在させるか。このようにしてキリスト教徒たちは、心を人間の肉体から切り離し、そしてこの切り離され肉体を奪われた精神を彼らの神にするのである。我々の理想は、全体的な現実的な全面的な完全な完成された人間である。ただ自分の話を聞いて欲しい、自分のことを分かって欲しい理解して欲しい。
