ここから去るに当って、私は別れの言葉をこう言いたい。
私が見たものは比いなく素晴らしかった。光の海に広がっている蓮の花の秘密の蜜を私は味わった、このように祝福されていたのだ。無限の形を備えたこの劇場で私は演技をした、そしてここで、あの方の姿を見た。触れがたいあの方に触れて、私の全身も手足も慄いた。そして今ここで終りになるものなら、終りになるがよい。私に秘密の小道を示し、私の心の地平線の多くの星を見せてくれた。快楽と苦痛との国の神秘へと私を導いてくれた。我が神よ、ただ一心にあなたに帰命して、私の感覚をすべて差し伸べ、貴方の足許に跪いて、この世界に触れたい。私の歌をすべて、その様々な旋律もろともに、ただ一つの流れに集めて、ただ一心に貴方に帰命して、沈黙の海に流したい。私の生命のすべてを挙げて、永遠の故郷に向かって旅立ちたい。彼岸に渡る。理想を実現すること、または解脱して精神の完全な自由を獲得すること。仏教にも共通する理想。貴方の恵みは愛と生命と歌と香と光明と鼓動という形で自然界に表現され、神酒の甘露でもある。私の心は蓮華のように自然の恵みをうけて花が咲き蜜をつくる。その蜜を今度はこちらから神に捧げる。こうして両者のあいだに交流が往復する。神が私の生命、私のすべての中に来てほしい。「相見」男女の密会をさす言葉であるが、神と信者との神秘的合体をあらわす。「稲妻」期待していた光は一刹那閃いたが、忽ち消えて眼の前の闇は前よりも一層深くなった。貴方は世界の創造以来何度となく私を生命の河に浮かべて、家でも旅先でも、歓喜を授け微笑みかけ頭を撫でてくださった。貴方の姿なき姿を私は何度となく見て来た。貴方の豊かな甘露の雨には生命と苦楽と愛と歌とが満ち満ちている。最大の詩人である神に対する詩人の祈り。神の孤独、つまり神から遠ざかっている我々の孤独感、宇宙に広がる神の孤独は毎日の自然界のすべての現象にあらわれる淋しさ、侘しさとなり、それはまた人間と社会のあらゆる面にやるせない情緒を与える。その孤独感はただ詩人の言葉においてのみ溶けて胸に満ちる。私の心は貴方を慕っている。私の心の中にいる貴方は私のことを私自身よりもよく御存知。すべてを捨ててただ貴方だけを自分のものにしたい。神はしばしば私を訪れ足音も聞こえ使者もこの胸に来た。今日こそは神を見る予感に全身が戦慄いている。「相の都」現世、色・形のある現象世界のこと。その根底の奥深いところに色・形を超越した彼岸の世界がある。私たちの住居には神が宿っていていつも私たちを見守っていてくれる。この世に生まれ、自己の生命を燈火として燃やして苦しみながら、しかも不死を求める人間の姿。「汝」は自分自身に対する呼び掛けと見てよい。「光明」「生命の燈明」自他を照らし、しかも自分自身を消耗する。すべての幸に火を点して。自分の幸福の全部を賭けて、燈火として燃焼して。汝は神を愛しているのに、その神は汝をこんなにも悩ませ泣かせるのであろうか。神の姿は知りがたいが、いつも汝に同伴してくれる。人々が眠っているときも神は唯一人目覚めている。世間がすべて眠り込んでいるときにも神は活動している。雷鳴り轟く嵐の中に神の声を聞き、外界の現象と心の中とを対比させながら、永遠の生命と心の平和とを認識する。「君が火、燃え上がれ」神が授ける浄化の火、この火の試錬を受けて自己の驕りや怠惰をほろぼし、習慣の束縛を破りたいという詩人の願い。詩人が神の命令を受けて唄うとき、すべての苦しみは溶けて甘露の歌となり、鳥のように喜んで飛び立つ。この眠っている地上に唯一人だけ目を醒ましているのは誰か。じっとしている木の葉の間にまどろんでいる大気の中に、物音もしない鳥の巣の中に、花の蕾の不思議な奥底に、鼓動する夜の星の中に、私の存在の苦痛の奥底に、目を醒ましているのは誰か。雷のような神の一撃を受けて、個人的執着の闇を破り、詩人の全身が芸術品として燃え上がる。神と私とが共にある場所は人の世であり、自然界、精神界の全てである。愛と歓喜とは光明のようにすべてのものを照らす。日々の生活の雑踏から逃れでて、宗教的な虚無の世界の中に、言葉や形態を超越した自己の内面界の完全な姿を実現したい。一方では現実界の中に神の活動の姿を見出すのに対して、他方では、現実界の煩わしさを超越したところに神の絶対静止の姿を認めたい、どちらも詩人の真剣な願望である。どんな場合にも常に神を仰ぎ見たい。私の詩人としての活動はすべて、創造主であり偉大な詩人でもある神の活動である。私の生命は、神がその不死の神酒を自分で注ぎ、自分で飲み干す盃である。一つの言葉を千千に織り成す。唯一つの実在を賢者たちは様々の名で呼ぶ。自分の身を琴に例え、そこに神の音楽が奏せられることを願う。自分を神の手に委ね、神の愛によって授けられるものだけを受け取るがよい。私は自分を夜も昼も自分で担い続け、いつも疲れている。疲れたこの心を貴方のすべての中に置き、貴方のすべてを私の自己としよう。現象として種種雑多なものを統一して純一の唯一実在を実現することは、様々の供物を火に投じて、唯一の神に捧げることと同じである。今や長い暗黒時代を終えて、また昔のように神聖なる殿堂の扉は開かれた。生まれ出る悩み、この浄めの護摩の火に、過去の苦悩を骨の髄まで焼き尽くす。私の心もその苦痛をこらえ、唯一無二の絶対者の命令に従い、恥辱と恐怖と侮蔑をすべて克服する。新たに偉大な生命が生まれる。暗黒時代は過ぎ去り再び起き上がる。無限なる神が有限なる現実界に姿を示す。限りのうちに、限り無き君。自然界と並行して私の心の中にも神の姿が照り輝く。絶対者が相対世界の中に現象として姿を示すことを神の遊戯という。神即ち自然と、この私との一致は、宇宙の秘密の鍵を解く。インドでは梵我一如、仏教では悉有仏性という。私が解脱すれば万物もみな完全な自由を獲得する。私の感激の涙に浮かぶ神の姿は、美しくもあると同時に憂愁にも見える。神は私一人の為に存在する。神は私の中に様々な姿で現れ、私と結婚して一体となり、二人の愛の一致において完全な姿を示す。キリスト教にも神秘的合一という言葉がある。詩人は時折自分の能力の行き詰まりを感じて絶望し、すべてを捨てて世を逃れようかと考えるが、駄目だと思った途端に新しく道が開け、また創作の力が湧き出て来る。私の存在は、そのうちに神が遊戯することに意味を持つ。自己を空しくして神を迎え入れる。客人を待つ。神に近付き宇宙の神秘を知る。神はいつも私の身近にいて、あるいは脅かし慰めてくれる。ただ一心に帰命し、生命も身も心も、そして詩も、みなすべて捧げたい。
