ますます異常性を帯びて来た。美しい少年は身分の高い者、高貴な人々のあらゆる騎士的美徳、気高さ、優れた心情、燦然と輝いている。若き日においては多くのものは既に確固たる形体を待望しつつ,なお液状またはガス状なのである。ハンサムで背も高い若い男の子が何をまー・・一寸先は闇か光、何が起きるか彼がどうなるのか全く分からない想像も付かない。全部の過去とも全くの別人だけれど、全部の過去も今にある。少しでも理想の形に近付いて行けるものならばその一助になれるものならば何が何でも何としてもどんな苦労をも厭わない。全身に力が湧き上がり充ち満ち溢れ漲って来ると、背高く筋肉でよろえる。枠は唯一無二の塊存在中心核だから喧嘩には戦闘力にもＳＥＸにも絶対の自信があります。あの頃あの時を思い出せれば、当時の自分になれるというのか、16才を思い出せれば16歳になれるというのか・・良かった頃素晴らしかった時なら16歳なら出来たというのか・・あの16才で部屋の雨戸を閉め切って宇宙最高の頭脳に己の能力の素晴らしさに陶酔耽溺し心踊って躍っていた頃・・＋の時期も多いけれど総合して見れば時間的には−の時期の方が全然長い、＋は集約されている。16才になったら16歳になれたら・・あの16歳で色々食べたり飲んだりして(コーヒーや砂糖を沢山飲んだ事もあった)史上最高になってから蚊に血を吸われて一気にドンと落ちて沢山栄養摂取してカルシウムのお菓子を食べ始めてから背も高く歯も治り頭を下げて部屋を締め切って服等で力をセーブして宇宙最高に近付いていって・・頬骨を床に付けた儘寝ると頬骨が鼻に行って鼻が高くなるよ、俯せになって膝を曲げ脚を上げた儘寝ればカルシウムが脚に行って脚が伸びるよ・・輝くばかりの若さにも美貌長身雄偉な体格にも宇宙最高の頭脳にも過去にも今現在にも未来にも心躍って踊っていた無限の無限大の力を能力を感じられた16歳のあの頃も今！！カルシウムのお菓子を食べ過ぎて少し後に病院に連れて行かれ糞医者や汚え奴等に好奇の目で見られ下らねぇ問答をさせられたのが痛い。ゲームの件とマッサージとかいう件も痛いけど。疾風怒濤！！女を抱ければ・・チャンスは何度もあったんだ,本人が目茶苦茶で不安定で繊細なせいで全部逃してしまった。四肢を引き締め五体全身に漲る。俺の枠の中にも内にも内部にも外にも外部にも無限の無限大の領域が世界が宇宙が広がっている。中心核枠に超圧縮！！非常に精神的な心境に達する、自分の本質が新たに清められたことを感じる者、地上のあらゆる衝動に泡立ち溢れる、彼は精神であり火である。彼は美に見守られて以来自由である。最も激情的な最も強く愛し得る人間こそ、相識のけばけばしい世界、あらゆる合一と共に既に永遠の分離が始まる世界に踏み入ることを強く怖れる。俺の枠の中も内も内部も外も外部も一つなのだ。昔より更に「そうなれる」という確信は強まっている。本当に自分は16歳に中心核に神にそのものになれるのか。俺の枠の中から内から内部からも拡張拡充に努めているから背高く筋肉でよろいよろわれ広げ広がっていける筈だ。全員集合して全員の力を結集する。16才が羨ましい？ほら,見てよ,この素晴らしい身体を逞しい身体を肉体美を・・頭脳も精神も肉体も規格外に人間離れして最上最大最高最強最美最優秀クラス級！！最初から最後までスタートからゴールまでエンジン全開フルスロットルで完走！！後頭部を下に付けて仰向けに寝ると鼻が低くなってしまうから頬骨を付けて俯せに寝て鼻を高くする訳だ。軌跡道程も枠になるとすれば後悔すべき汚く恥ずかしい過去も書き替えられる？現実頭のおかしい精神異常者な訳ですから。人間的人格的にも目茶目茶異常な問題が物凄く沢山山積しています。心も体もズタズタだ。枠から枠も飛ぶ飛ばす飛ばされる飛んだ飛ばした飛ばされた。美しさを誇るときもあれば醜さを呪うときもあり。事態が更に望む方向に進歩進捗進行したことに期待して・・もう駄目だ,何度その言葉を言った思ったことであろうか,現実には心の中では底では神が運命がどうにかしてくれると期待してはいるのだけれど・・事実全くの別人に全然別の状況状態になり続けて来た訳ですから・・しかしもういい加減にしてくれ,本体は中心核・・生きる目的に自らを導入する序、その気持ちを高める破、そして活動を全開にする急・・なんと壮大で神々しい、もはや言葉では表せない、これが宇宙、これが地球、私の生命そのもの、この恍惚感・・自力他力合せて至る。背が高いのは絶対です。そうですよね,｢拾い集めれば｣女性に男性として＋を向けられた事も沢山あったんですよ,それでも−の方が全然多いけれど・・波瀾万丈激動の人生であった。�孔子は「道」の自覚に自力で到ったのではない。天の命ずる声を聞いたのだ。（小林秀雄）�人を相手とせず、天を相手とせよ。（西郷隆盛）�汝自身を知れ（ソクラテス）�「自己」と「他者」という対概念に起因する自我の意識からは、決して「汝自身を知る」ことはできない。�自分のことは、本当は自分がいちばんよく知っている。それは言語化されない、生身の自分自身である。それを、誰かに認めてもらおうとして言語化すると（その相手が自分自身であっても）、結局ありもしない自分を他人の目に委ねることになる。言語化された自分は、決して本当の自分ではない。�私は英雄的天性の正反対だ。何事かを「欲する」、何事かを求めて「励む」、一つの「目的」、一つの「願望」から目を離さぬ。−こうしたことすべてを、私は経験したことがない。いま、この瞬間でも、私は自分の未来を−ひろびろとした未来を！−静かな海を見るような気持ちで見ている。その海面には、何の欲求のさざ波もたっていない。（ニーチェ）
