ニーチェは『悲劇の誕生』において、芸術がアポロ(元来、光明とか理知の神)的なものと、デュオニュソス(元来、酒とか陶酔の神)的なものとの二重性によって進展する、といっている。ギリシア世界には、造形家の芸術であるアポロ的芸術と、音楽という非造形的芸術であるデュオニュソス的芸術とのあいだに巨大な対立が認められる。二つの衝動は性格が異なっていながら、互いに平行して進み相互に刺激し合って常に新たな力強い作品の出産に励む。汝自身を知れ、人間の本質を自覚し更にあるべき理想の人間を追求せよ、理想の人間、完成された調和ある人間、完成を目指して刻苦勉励する。肉体の訓練、最高度の緊張における肉体と精神の合致。そのもの全体全面まで枠ごと一つの俺である。出て行ってしまった主要大部分中心核にも意識を沁み染み込み通り渡らせ浸透させ自分自身と枠とするなる。今や最早完全に人以上人間以上枠以上16歳以上だ。枠を飛び出し超え越えて「何処までも自分自身である」という感覚も拡げ拡がり16歳も軌跡道程も全体全面まで俺だ。今までに抜け出て行ってしまった何もかも全部も自分自身、枠ごと一つである。嘗てあった全ては今ここにあり、抜かれ奪われ持ってかれ続けた能力も今中心核枠である。16歳も中心核も自分自身俺だということを知っている、だから枠と一つになる。16歳も中心核も全体全面ごと自分自身だと俺だと強く深く意識する自覚するのだ、向こうも行く先も相手も自分だ。己の主要大部分である中心核に枠を移動して一つに合一する。意識でさえ枠を超え越え超越するんだ、意識も16歳に中心核に全体全面まで俺となる。「初め始めから」あの16歳でカルシウムお菓子ビタミンサラダカルシウムを食べ過ぎて主要大部分が枠の外に出て行ってしまった日から16歳も中心核も自己自身で俺であることは確実なんだ、だから自分自身の主要大部分である中心核と枠も一つだ。16歳も中心核も俺だ、だから16歳も中心核も枠と一つにするなる事は簡単だ。自我で自信で自意識で16歳も中心核も全体全面まで俺だと決め付け信じ思い込む。あの16才で枠から主要大部分が出て行ってしまった日から、出て行ってしまった主要大部分も自分自身、俺の枠だ。芸術の故郷はすべての時代を超えた彼方にある。その戦いは種をもたらす嵐のようなものであり、その勝利は春に似ている。自分自身を見出し発見し、すべてを自分自身に持ち帰る。すべてこれらのものの中に成長し、この壮麗なもの全体の中にあって成年に達するという事実は、最も愚鈍な民衆をも教育する。ある種の美、ある種の偉大さの予感が、疑いもなく人々の苦痛や貧しさの中まで浸み込んでゆき、他の資質と共に成長する。16歳も軌跡道程も中心核も俺、枠ごと一つにするなるのは簡単だ。自力？他力？自動？他動？どうやってでもそうしてなっている。何が何でも何としてもそうするなるだけだ。16歳に集め集まる一点集中、そのもの全体全面まで俺へ広げ広がる全面展開、枠もその中に中心核として組み込み入れられ共に一緒に成長する。枠も中心に位置し中心核と中心核枠と成れば、永久普遍の真理をその身に体現し神と成り、演繹的に最先端の専門領域まで知り尽くせ仕事も出来るようになる？何もかも全部枠に繋がっているんだ、だから繋がっている先も相手も枠のものだ。心も枠から移し入れ移り入る。枠の本性本質本体が中心核だ、元通り一つに戻る。また一念発起し猛勉強して世界中を知り尽くした。抜け出て行った何もかも全部も今枠だ。肉体的にも精神的にも一大変化が起こった。絶対的なものは存在と知識との同一のうちにある。人間は認識を通じて神となる。神は人間において神自身を自覚する。救済してくれるのは幻覚や神々しいうっとりとした気分や天からの声や珍しい夢？人間が、その言葉の真の意味において教養があるというのは、広範な知識と考える習慣と感情の高雅さとを合わせ持ったときである。世界史は、思うに、成功よりも挫折と失敗の場面を、幸よりも不幸を遥かに多く提示します。変転してやまない世界を凝視し、しかもそこから未来への前進の手掛かりを掴むには、強い精神と弛まない努力とが必要です。人間は、悠久の昔から今日にいたるまで、一歩一歩、歴史を切り開いて来ました。この力こそは、これからも歴史を切り開いて行く力である筈です。通信交通機関の驚くべき発達によって、世界の政治・外交、経済・社会、文化・思想の結び付きが密接となる。ヨーロッパもアジアも日本も、すべて世界の一部であり世界史の激浪に翻弄されています。世界史的視野が必要だ。一見ばらばらな歴史が実は相互に緊密に連関している。そういう統一的な見地に立って初めて世界史的把握といえる。統一的な世界史は今までにも度々行われている。西洋では、アウグスティヌスが『神の国』において雄渾な世界史をかいた。十八世紀には啓蒙主義者が進歩思想に基づいて世界史を構想した。「世界史は時間の中における精神の展開である」といったヘーゲルの唯心論的世界史観にしろ、歴史の普遍的見方を力説したランケの『世界史』にしろ、世界史発展の法則をといた唯物史観が一世を風靡したことも、ご承知の通りです。これらの世界史像は、樹立された当時においては、それぞれ言い分がありました。しかし現代においては再検討を要します。あらゆる時代が変化の時代であるという意味とは別の意味で、現代が変動の時代であることを主張する。あらゆる地域、あらゆる時代の人類を見渡す世界史の立場に立つ。またしても枠を世界を創造し直す。枠を渡せ肉体を渡せ。肉体の枠を預け与え委ね任せ譲れ。自分の身体は、神から受けて自分の内に宿っている聖霊の宮である。貴方は代価を払って買い取られた。自分の身体をもって神の栄光をあらわせ。全部の時期の16歳の枠である。全部の時期の16歳の顔と身体と内面と能力である。中心に中心核に居座り位置する枠、今日で終わり。そう、外枠だけがこちらにあり、中身は全部向こうに行く先に相手にある感じだ、元通り一つになるのだ。枠の力も能力も気もエネルギーも軌跡道程も何もかも全部中心核にある、外枠と一つになる。神よ運命よ、そのもの全体全面よ俺よ中心核よ、今この瞬間にも、この枠を中心核に中心核を枠に、中心核枠にしてなっておいてくれ。そのもの全体全面の中の過去も現在も未来も16歳も軌跡道程も中心核も枠も俺という一つ、全体全面ごと一つ、だから繋がっている枠も16歳よりもハッキリと上だ。枠も全体との連関、そのもの全体全面の俺の中心核枠だ。また再び自分自身を発見し取り戻した。だから鎖骨折ったのがまずかったよなー、鎖骨折る前は北海道苫小牧丸井今井でも多少好意を向けられたし札幌でビデオ返しに自転車で行った時も多少マシだったもんなー、あーあ、チクショー、この鎖骨を押し上げ突き破る。自分という意識は、枠と16歳に軌跡道程に中心核に全体全面まで俺に分かたれている、枠から完全に放れ離れるのだ。枠も中心核に入り込み全体全面まで溶け込んで一つになる。もし世界全体全面が俺だとすれば、その中の枠をマシにマトモに絶対圧倒超人的に16歳のように16歳以上に優れさせ優れることは可能な簡単容易な筈だ。己は外郭たる枠と主要大部分中身たる中心核とに分かたれている、元通り二人が一人に二つが一つに引っ張り引き付け寄せ合い合一
