世界全体も彼自身が無限数の円から成る無限大の一つの円である。
今まで書き込み入れ印刷し続けた全部の字も最も相応しく直し直り絶大なる効果を発揮する、絶対の現実となる。己の全存在をかけてやれ！！思考に直観が結合され真理と生命がある。無限の無限大∞の絶対圧倒超人的な巨大強大壮大甚大強烈猛烈壮烈激烈なる超エネルギーの塊が疲労困憊顕著だ。心情・・女性的なものに対する感覚、唯物論の座はフランス的であり、頭脳・・男性的な原理、観念論の座はドイツ的である。運動、激動、熱情、血、感性があるところに精神もまたある。心情は自分自身以外に神的絶対的実在だけを信じている。有神論は頭脳と心情との分裂に基づいている。汎神論は分裂内での分裂の廃棄である。神的本質を超越的なものとして内在的にする。人間神論は自覚した自分自身を理解している宗教である。ヘーゲルにおいては思想が存在であり、思想が主語、存在が述語である。思考は抽象的、それは自分を実現し外化する。実現され外化された思想は、自然、一般に実在するもの、存在である。存在は主語、思考は述語、存在は根拠を自分の内に持つ、ただ存在のみが、意味、理性、必然性、真理であり、要するに一切における一切であるから。存在としての存在の本質は自然の本質である。時間的な発生は自然の諸形態だけに及ぶ。いわゆる積極哲学（シェリングがその後期の哲学を特徴づけた名称、神話や宗教のうちに見られる啓示、非合理的なものを拠り所とする哲学）者のように、哲学のある一つの特殊な実在原理に従って思弁する者は、《やせた荒野の獣のように、悪魔にぐるぐる引き回されているのだ。辺り四方には、美しい緑の牧場があるのに。》美しい緑の牧場とは、自然と人間である。両者は相寄って一つの全体を成している。自然に人間に目の当たりに哲学の秘密を見る。新しい唯一の積極的な哲学は思考する人間そのものである。自然の自覚した本質、歴史の本質、宗教の本質として存在すると共に、すべての対立と矛盾の、すべての能動的性質と受動的性質、精神的性質と感性的性質、政治的性質と社会的性質の、現実の絶対的同一として存在すると共に、また自分がそうであることを知っている人間、新しい哲学は、神秘主義と合理主義の、人格神論と汎神論の、有神論と無神論の、一つの絶対に独立的で純粋な真理として、すべての相反する真理の統一である。最も本質的な関心事において仮象が本質と、幻想が実在と、名称が事物と見なされる現代、対立物は補い合う。新しい原理は、いつも新しい名を持って現れてくる。彼は自分自身の本質を言い表す。言語は、人類の教養程度の高低の試金石である。神の名は、人間が最高の力、最高の本質、最高の感情、最高の思想と思っているものの名である。思弁哲学は、芸術や科学等々自己の外にあるかのような本質的な諸性質の人間からの分離を理論的に固定し、それによって全く抽象的な諸性質を独立の存在として神格化した。人間が自由の人格の法の現存である。人間こそフィヒテの自我の地盤、ライプニッツのモナドの地盤、絶対者の地盤である。すべての学問は自然に基づく。新しい哲学のみが、今まで反・および超自然主義的な仮説であった自由を自然化する。哲学は再び自然科学と、自然科学は哲学と結びつく。相互の要求、内的な必然性に基づいた結びつきは、哲学と神学の結婚よりも、より永続的な幸福な実り多いものであるだろう。人間は国家の根本質である。国家は、人間の本質の実現され完成され顕現された全体性である。国家の中で、人間の本質的な諸性質や諸活動は、特殊な諸身分において現実化されるが、国家元首という人格において再び同一性へ還元される。キリスト教は人間という名を神という名と結びつけて神人という一つの名にした。人間という名を最高の存在の一つの属性に高めた。新しい哲学は、真理に従ってこの属性を実体とし、述語を主語とした。新しい哲学は実現された理念、キリスト教の真理、新しい真理、人類の新しい自律的な行為である。
