中心に居坐り座り据わり永久普遍の真理からあらゆる専門分野まで知り理解し尽す。分かたれ別れ分離してしまった、元通り一つに戻るんだ。嘗てのように主要大部分と一つになる時が来た。そのもの全体全面俺の中心核枠の全身に充実している。ア・プリオーリに洞察し決定できる事柄がある。いかなる変化にもその原因があるという必然性や、数学上の諸真理や、また力学や天文学に含まれている数学に還元できる諸命題や、自然法則から帰結する命題でさえ、このようなものである。そら、哲学者が御入来だ。そして君らに理の当然を証明する。功績と天才の持ち主は本心から謙遜である。僅かの哲学は人を神から引き離すが、進んだ哲学は神へ連れ戻す。知識欲は、普遍的なものへ向かうときには学究心と呼ばれ、個別的なものへ向かうときには好奇心と呼ばれる。知性の理解力は内包量である。一人の人が平気で一万人に対抗することができる。本当に真価のある詩人や思想家だけが、あらゆる時代的影響を超越している。知性が必要な程度を既に越えたときに、はじめて認識が多かれ少なかれ自己目的になる。素質も超一流、能力も時々は優れている、機会チャンスは沢山あったのに運と巡り合わせが悪いですよね、本人が時期により日によりまるで別人なんだもん。16歳丹田から中心核枠からそのもの全体全面俺を自覚する。そのもの全体全面俺の中心核枠の全身自我で自信で固め固まる。そのもの全体全面俺の中心核枠の俺の枠の無限の無限大∞の絶対的圧倒的な巨大強大絶大甚大激烈猛烈壮烈なる力でパワーで一つに合一し埋め尽くすだけだ。強引無理矢理にでも枠を引っ張り引き出し上げる。後は一つにするなるだけだ。力で枠を中心核に持って行く、中心核に枠を持って来る。いかに俺の枠の内面が宇宙だとしても、力は抜かれ奪われ持ってかれカラカラスカスカだ、主要大部分中心核も自分自身となれば、また全身に充溢充満充実できる。16歳では主要大部分と一つだった、向こうで沢山取り込み入れ大きく高く強く逞しく美しく進化成長発達発展したから、元通り一つに戻る。そのもの全体全面俺の中心核に主要大部分が成る。貯めに溜め込んだ貯金箱が貯蓄財産が戻って帰って返って来る。枠自体が行くのだ。本当本来本性の自分が相手であり向こうに行く先に出来上がり完成しつつある、己の主要大部分に本体本性に枠ごと取り込み入れられ一つになる。また16歳以上のパワフルな可能性溢れる力強い存在になった。意志のための奉仕に必要な程度を断然超過する知性を具えている人、その過剰な知性はやがて自ずから自由な活動へ流れ込み、そしてその成果は、世界と事物についての純粋に客観的な把握となるのであるが、そういう人が即ち天才なのであって、このことは彼の顔つきにも際立って現れている。知性は専ら知性自身の目的のために、即ちこの世界の驚異すべき多彩な光景の把握の為に働いて、やがてそれを何らかの形で、即ちそれを具えた個々人の資質に応じて、画像としてなり説明としてなり表現する役割を果たすべきである。個別的なものを概念で総括する。これがまさに理性の使用である。彼の知性が高い段階へ上れば上るほど、それだけこれらの概念が普遍的になる。さて、このような普遍的なものの把握が直覚的認識にまで滲透して、その結果、直観内容も直接に普遍的なものとして把握されるようになると、そこに（プラトン的）理念の認識が成立する。その認識は美的で、自発的な場合には天才的となり、そしてそれが哲学的になると、人生の全体、諸々の存在とその無常さ、世界とその存立の全体が直覚的に把握されて現れ出て、この形で省察の対象として意識に迫ってくるので、その最高の段階に達することになる。それは思慮の最高度である。この最高度の思慮と単に動物的な認識との間には、無数の度合いがあって、これらが把握の漸進的な普遍化ということで区別される。一国民が誇りうる美術や文学や哲学上の作品は、すべてこの国民の中に嘗て存在していた知性の過剰の収穫なのである。天才は二重の知性を具えている。一方の知性は自家用のもので彼の意志に仕えている。他方は世界に向かっていて世界を純粋に客観的に把握してそれの鏡となる。この把握の集約もしくは精髄は、彼がそれに加えてどのような技術的修練を積んでいるかに応じて、芸術なり詩なり哲学なりの作品の中で再現される。脳髄というものは、上部の堅牢安全な仕切りの中で有機体に養われて独立自存の生活を営んでいる寄生者である。そのように、高度の精神的天分を具えた人間は、万人共通の個人生活のほかに、なお第二の純粋に知的な生活を営んでいる。この生活は、まとまりのある本格的な認識や知見を不断に追加し修正し増大していく営みであって、この生活によって運命の浮沈を超えてこれを無視する。それは、思索と学習と実験と修練の生活であって、これが次第に主たる生活内容となり、個人の生活をその目的のための単なる手段として従属させるようになる。知的生活の超然たる独立性、自己一身の生活がたとえどのような世の嵐に襲われて揺さぶられようとも、いつも従容として我々の知的生活に専念することによって、地の塩となる。嵐の中で激しく揺れ動きながら、しかも枝もたわわに実を見せている樹を、我々一族の紋章とし、その周囲に「我引き裂かれつつ実は稔る」「揺り動かされたり、されど実を結びき」とかいう銘を刻む。その頭の中で表象としての世界が一段と高い明るさに達し、一際鮮やかな姿をとって現れている。最も重要で深い洞察を提供するのは、全体の把握の充実度なのである。天才を定義して、事物についての、ひいてはまたその対立者たる自己自身についての際立って明らかな意識である、ということもできる。彼の本領は差し当たり彼自身だけが知る。他の人々の眼に映る彼は、どこまでも第二義的なもので、偶然の手に委ねられている。独創的で非凡な、場合によっては不朽でさえあるような思想を抱くためには、しばらくの間世界と事物とに対して全然没交渉になり、その結果、ごくありふれた物事や出来事さえも、全く新しい未知の姿で現れてくるというようにすれば、それで足りる。彼は自分で光を放射している。いくつかの瞬間、その微かな余韻だけでも、幾世紀とその雑踏を超えてなお耳に聞こえる。意志はいかにも中枢であり世界の中核である。主要大部分中心核に意識を集中して主要大部分中心核こそ自分であると意識する。天才の独創性も極めて大きく、天才同士一人一人の個性も鮮明に際立っていて、嘗てこの世に生存していたあらゆる天才たちの間には、性格的精神的に広汎な差別が見られ、この全く個性的な性格と精神によって、一人一人の天才が世界にもたらした作品「自然が彼を鋳造し、しかして後にその形を打ち砕いた」。誰でも自分を一個の必然的な存在として理解すべきである。即ち、それの真実で完全な定義が与えられるならば、そこからそれの現実存在が帰結するような本質的存在として理解すべきである。自己貫徹の逞しさが彼の思想生活を貫いている。与えられた世界を一層深く理解する、それを超えて、あらゆる現実の窮極の根拠や永遠の事態を探求しようと努める。感性的存在と物質的存在について、それらは分散状態にあってかつ変化しうるものであると陳述されていることは、真実その通りであ
