そのもの全体全面まで広げ広がり埋め尽くす俺の枠である。
その絶大なる力を世界に示せ！！「頂点」という実績、「唯一」という価値、「先駆者」という誇り、「新発想」という未来、歴史に培われた高度な技術の結晶、常に未知なる可能性に挑戦する。未来を拓く。過去には良かった素晴らしかった時期も沢山あったのだから、自分の過去に救って助けてもらう、引っ張り引き上げてもらう、16才も軌跡道程も今枠であるならば、過去の全能力も今枠に甦り蘇りある筈だ。過去の枠、軌跡道程の枠、16歳の枠、枠の16才、枠の軌跡道程、枠の過去、枠の過去だけは16才だけは軌跡道程だけは枠である。枠も全体全面に一つに纏め纏まり組み込み入れられ全体全面の中心核の一部である。16才だけは超頭良かったんだ、他の軌跡道程にも容姿見た目や内的世界で見るべき部分は沢山・・枠の全部の時期も今中心核枠である。何だ、この性欲の上がり高まりは・・16才が来て若き日が甦り蘇りつつある。聖なる書物は宇宙万有の交響曲から発せられる和音の一つ、本当の神秘と不思議な類縁がある。真の語り手は永遠の生命に満ちている。師こそは、いたるところに散在する諸々の実相を集める術を心得ておられる。修練すれば発達は目覚ましい。そして、およそ発達を遂げていくときには、ちょうど光線の屈折に比せられるような分割や分岐が生じる。そのように我々の内面も徐々にではあるが分裂を重ねて様々な力を得てきたわけで、修練を重ね分裂もますます進んでいくだろう。精神の色彩が一つに解け合うにつれ、個々の自然物や現象も皆段々と一つに溶け合い、より完全な、より人間的な姿となって、この色彩の中へと流れ込んでいく・・印象のありようとは五官のありように呼応するものだからだ。口にする言葉は悉く真の自然の息吹であり、思い描くものは周囲の世界と一致し、その世界の忠実な表現となる。我は現にあり嘗てあり向後あるところのものである。世界万有の歴史を人間の歴史とみなし、自然の偶然性も人間の人格という観念に自ずと繋がり、それ故、詩が真に自然を愛する者の最も好ましい道具となり、自然の霊は詩の中にこそ最もあからさまにその姿を現したのであろう。真の詩を読んだり聞いたりすると、自然の内なる思慮が感じられて、あたかも自分が自然の天上的身体となったかのように、自然のただ中や自然の上をふわふわと漂うのである。我々は自然に対して、ちょうど人間に対するのと同じく、理解にあまるほど多様な関係にある。一方自然は、子供に対しては子供じみた顔を見せ、いそいそとその無邪気な童心に合わせるが、神に対しては神のごとき姿を見せ、その気高い精神に合わせるのである。自然を十全に理解しようという努力が憧れに変わるなら、そう、いつかはもっと親密な交わりができるものと予想されればこそ、よそよそしくつれない態度も今は甘受しようとするあの優しく慎ましい憧れに変わるならば、それだけでもう大いなる収穫なのだ。我々の内面には、底知れぬ深い中心点から周囲に広がり、あらゆる方向に向かおうとする神秘な衝動がある。その我々は、感性的と非感性的、二つながらの霊妙なる自然に取り囲まれているのであり、それゆえ我々には、神秘な衝動とは自然の引力であり自然と我々の共感の発露だと思えるのだ。この遥かな青い影の彼方に、隠された故郷を、若き日の恋人や懐かしい過ぎし日の出来事を求める者、あの彼方には自分のいまだ知らぬ栄光が待ち受けており、その背後には溌剌たる未来が潜んでいると信じ、新しい世界に渇仰の手を差し伸べる者、素晴らしい環界に静かに佇み、ひたすら自然そのものをその充溢と連鎖の姿のままに捉えようと努め、個々のものの上には、部分部分を整然と結び合わせて聖なるシャンデリアを作り上げているあの煌めく紐があることを忘れず、深い闇夜の上で揺れるこの生命ある装飾を観照することに至福を覚える人、かくて様々な自然観が生じてくる。自然感情が、一方の極では楽しい思いつきとなり饗宴となるとすれば、他方の極では敬虔な宗教に姿を変え、人の一生に対して進むべき方向や心構えや意義を教示しているのが見られる。自然の心臓は再び人間のように鼓動し始め、その空想するところは晴れやかなものになった。自然が人間の友であり慰め手であり祭司であり呪術医であったあの往古の黄金時代、自然が人間と共に住み、人間が天上との交わりによって不死のものとなっていたあの時代が、次第に立ち返ってくるような思えてくる。その時が来れば、嘗てのあの暗黒の時代には大地に背を向けていた星辰も、再び地上を訪れるだろう。世界のありとあらゆる種族が再び一同に会する。離散した昔の家族も再会し、日々新たな挨拶、新たな抱擁が交わされるだろう。往時の大地の住民が戻り、墳墓という墳墓で屍灰が蠢いて新たにくすぶりだし、至る所で生命の火が燃え上がり、往古の住居は新たに建て替えられ、古き時代は一新して、歴史は、終わりなく涯てのない現在の夢となるだろう。黄金時代は最初の時代であり、法も暴力も苦痛も老化もない永遠の春で、人間が、神々や自然と調和的に暮らす楽園のような時代とされる。荒々しい自然が陶冶されていくという文明化の過程の最後に、人間と融和的になった自然と帰還した神々とが調和して支配する黄金時代の再来を置く。自然の分岐の様相、新しい種類、新しい関係、新しい現象が次々と無限に現れ出る。この苦境、この恐ろしい牢獄から脱け出し、現世での所有物をすすんで放棄することによって、人類をこの苦悩から永遠に解放し、一段と幸福な世界へ、懐かしい父のもとへて救い出すあの偉大なる暁は、いずれ訪れる。醒めた人は、自分が世界の主であると感じている。彼の自我は、この深淵の上で力強く羽ばたき、永遠にこの無限の上をいや高く浮遊する。彼の内なる心は調和を告げ知らせ、これを広めようと努める。この醒めた人は、自分自身や身の回りの自分の創造物と無限にどんどん一体化していき、一歩ごとに、おのが自我の砦たる高い倫理的世界秩序の、その不壊の万能の力が、いよいよあらたかに示現するのを見る。世界の真意は理性、理性のためにこそ世界は存在する。世界は、いましも、ほころびかけた幼い理性の戦場となったばかりだとしても、いつかは理性の活動を映す神々しい鏡像となり、真の教会の舞台となる。そのときが来るまで、人間は世界を、自分と共に数え切れぬ階梯を辿って醇化されていく自己の心情の象徴として尊崇する。自由であることが自我の傾向である。自由でいられる能力が創造的想像力である。この創造的想像力の活動の対立物のあいだの浮遊物の条件が調和である。自然の認識に到達したいのなら、自分の道徳器官を鍛え、心の気高い核心にふさわしく振る舞い陶冶に励め。自然も自らを開示する。多彩極まりない現象のすべての謎が解ける。永遠不滅の自然の達人と言える。若者が物思いに耽っている。身体中に青春の血潮を感じる。愛や憧れが君の胸を一杯にしている。百千の鮮やかな色彩で君の五官に押し入ってくる自然の霊、愛人のように君を抱擁するこの霊、新しい世界が開き、君の恍惚とした心に命が幾筋もの光となって流れ込んでくる。
