枠と繋がっている16才から広がる中心核は、ますます大きく高く強く逞しく美しく進化成長発達発展している、完成し出来上がったら枠に成る、出来れば完成し出来上がる前に一つになりたい合一したい。全体全面も16才から中心核も、枠と繋がり結び付いているから、より近付いていくほどに、強く深くハッキリと意識し把捉できるようになった、後少しだ。プラトンの饗宴、ソクラテスを語れ。愛とは何者かに対する愛であること、愛は憧憬または渇望、美しきものに対する愛である。ギリシャ人にとっては美はやがて善なのであるから、この考えは愛の最高段階を準備するものである。愛は美を欠けるもの、そうしてこれを追求する。エロスは神と人との、賢と愚との中間に立つ。有限者と無限者間の中保者たる偉大なるダイモーン（神霊）として両者を結ぶ橋となる。両親の素質を兼備せる彼は、時には貧しく時には富み、時には栄え時には萎む。美の追求者なのである。完全なる知識と全然たる無知との中間に立つエロスは愛智者である。一切の人間は善きものを、更に通俗的にいえば、幸福をそれ自らのために欲求する。しかもそれを永遠に所有せんことを欲する。結果として所有者の永続的生存すなわち不死が要求せられる。美は身体や道徳や精神の上の様々の形、肉体や芸術や諸々の学問の最後には至高の学問のしかも絶対美のイデヤの美において顕れる。生殖によって個体の延長を図る。更に高きは精神上の自覚的生殖によって達成せられる精神的不死である。霊感に動かされた先達の導きの下に正しき途を進む者においては、そのエロスは漸次に進歩の段階を昇る。美は様々の形の下に見出される、そうして美を観た者はやがて生産に向かう。生産は更に新しき美を探求するに至らしめる。探求過程は組織的方法と規則立った順序に基づいて、比較的物質的な対象から比較的非物質的な対象へと段階を追うて上昇の歩を進める。すなわちまず最初には一つの美しき肉体に対して愛を感ずる、次には肉体的に美しきすべてのものに対し、それから慣習や制度上の美に対し、更に進んでは心霊上の美（卓越）に対し、次には学問上の美（諸多の美しきイデヤ）に対して、終には美しきイデヤから永劫不易にして純精神的なる、唯一絶対の神々しき美のイデヤ、一切の有限なるものが与るところの美自体、美の原型ないし絶対美（の認識）に対する愛を体験するに至る。この最後の段階において働いているエロスは純粋なるヌース、熱烈にして生産力ある思考、すなわち理性の情熱とも称すべきものなのである。エロスは哲学的推進力、畢竟フィロソフィヤ（智慧の愛すなわち渇望）である。智慧は徳の最高段階として（理性の特殊の徳なるが故に）、人間にとっては善の最高にして最も本質的なる形である。フィロソフィヤとは生活の仕方であり道であり態度であると同時に教育体系でもある。終局目的を達して、美のイデヤを観じ、有限者と無限者との合一が実現するまでは、人間はエロスに駆られて、美が関与する経験のあらゆる段階を通過する。あらゆる種類の研究によってその心を豊かにする。彼の生涯は具体的かつ特殊な感覚美からいっそう広大にして霊的な精神美へと登りゆく行路である。かくて人生においてエロスの働きの実際に顕現する領域はきわめて広い。それは本質的に伝播し弘通しようとする傾向を持っている。愛の最後の段階を体験した者、この新しい最高の秘義、に参する者はフィロソフォスすなわち愛智者なのである。かくして練磨されたる美感はいっそう高き道徳感に達すべき階梯となる。完全なる人生の教育過程をここまで昇った者のみが真に生きたといえる。この最高段階に達するには、魂は『学問』を超越しなければならない。それは突如として啓示される。ここにおいて彼は美の本質に直に接触し直観する。神々からも愛せられる彼は真に幸福であり、（美の、したがって美を内包するところの善の本質を観じたが故に）また不死である。人間に生得なるエロスは人間の心霊を動かして人間が地上において到達し得る最も完全なる境地にまで到達せしめる力を持っている。エロスこそ最も深長な意味における人生の原動力である。目的を達するには、易より難へ、形而下から形而上へ、日常卑近な事例から高尚なる学問的認識へと進むという漸進主義を採用した。イデヤとは有限なる諸現象の本体かつ原型として時処を超越せる不生不滅の実在である。個々の現象はただイデヤに関与するかぎりにおいてその影のごとき存在を保っているに過ぎぬ。人間の愛はこのイデヤに向う、しかも最初にはその感覚的模像に、その最下層においては美しき個体に向う。イデヤが現象界との関係を超脱すればするほど、それに対する人間の愛もまた高尚となり、ついには理性は一切の感覚的なるものを脱却せる純粋な美の本体を直観するに至る。これこそフィロソフィヤすなわち智慧の愛求であり、道徳的にも知識的にも人間向上の最高段階である。愛あるが故に人間は理想を、最高認識を希求憧憬し、また一度自らこの境地に達したならば、最高の愛の情熱に駆られて美を現象世界に、善を人間社会に実現せんとの熱烈な願望を抱くに至る。人生の目的が永遠なる者の、超地上的なる美ないし善のイデヤの直観と最高の道徳的完成とに到達すること、およびかかる心境に相応しく活動することにあることを、しかもこの目的を達成するに当って心霊に最大にして必須なる助力を与うるものは人間の衷に宿れる憧憬の感情すなわち愛である。天上のエロスを地上に代表することを天職とする。いかにして真人は育成せられるか、いかにすれば真に優良かつ幸福になり得るか。愛が生命を得、そうして血と肉とを受取った一人の人間を、永遠なるものと無限なるものとの獲得に対する欲求、理性の正とし善しとするところのものを愛に駆られて、かつ神明の召命に従って現世に実現せんと真剣に努力する一個の人間を提示する。いっそう善き完全なる者に育成せんとする燃ゆるがごとき熱願の権現である。『饗宴』においては、この独特無二の人格のあらゆる側面が、その超人的一面と人間的一面とが、その強大なる自制力と感覚美に対する感受性とが、あらゆる肉体的苦痛と危険に際して発揮される信ずべからざる克己心が、その真剣なる面と皮肉で嗜虐的なる面とが、その社交的性向と少年愛とが、生き生きとかつ鮮かに描き出されている。フィロソフィヤが人間を最高美と最高善と浄福とに到達せしむる。最高の形式美と最深の思想と最高の徳性と、このきわめて稀に結合せる三者がここに渾然一体を成す。
熟読玩味して自分の血肉になるまで本を読む。私も専門知識を身につけるために本を読むことはあります。しかし、読書で一番大事なことは精神の糧にすることだと思います。16才も枠である。16才ではあれだけ物凄く素晴らしかったのに、今は絶体絶命万事休すだ。また16才のように16才以上に超頭良い。「素数Ｎまでの間に存在する素数の数はＮの自然数ｅを底とする対数にほぼ等しい」という素数定理には驚かされた。何十年かぶりに自然界の不思議を見せつけられた思いである。人はなぜ働くのか、人生の意味とは何か。そんなふうに思い悩んだときに自然界の不思議に目をやると、視野の広がる思いがする。
