栄光の日々を送っていた彼の運命は突如狂い始める。
時よ、来たれ。そして行為のために、また私の本質の形成と表現のために、種々の材料を私にもたらしてくれ。秩序もすべての外的条件も私にとって同じものである。すべての目的と精神のすべての業績とを永遠の統一のうちに直感する。完全に純粋な義務の観念は、我々にその真の使命の偉大さと崇高さとを感じさせるところの神の賜物の深奥を啓示する。自らの内に神の原理を意識することは、あらゆる外面的報酬よりも強く彼を善の掟の遂行へ向かわせる。苦悩と罪業との関係は存在している。帝王から乞食に至るまで自己完成を心がける。自己完成のみが万人に幸福を与える。自分が目的とするもののみを獲得する。精神的な生活を送る者にとって、苦悩は常に自己完成と啓蒙と神への接近への刺戟剤である。汝がそのために苦しむ悪の原因を、汝自身のなかに探すがよい。ときにはその悪は、端的に汝の行為の直接の結果であり、ときには複雑な経路を辿って汝へ戻るものであるが、いずれにせよ、常にその原因は汝自身のなかにあり、それを逃れる道は、汝の行為を改めることのなかにある。まーったく、よくもまあ同じ事を何度も何度も何年にも亘って言い続けるよ、呆れた奴だ。永遠の生命が現在の生活から始まる。汝自らを知れば汝は神となる。自己完成には常に悔悟が先行する。なるべく早く無限の自己完成を目指して進むべきである。そうなるべきなんだ、なるべきだったんだ、なるべくしてそうなったんだ。因果律により束ねられし糸は、今結ばれた。我々の肉体は、我々が霊と呼ぶところの精神的本源を宿している。そしてこの肉体という宿は、ちょうど容器がその中の液体や気体に一定の形を与えるように、そこに宿る精神的本源に形を与える。容器が壊れると中のものは流れ出てしまう。それが何か他のものと結合するか新しい形をとるか。生きるということは、霊を、精神的な、それ自体で生きる存在を、それが宿されている肉体的・個我的条件から解放することである。約束の刻来たれり。これは何？現実なの？どうして私達はこんなところにいるの？悪の原因は君の中にある。びっくりするほど美しい眼をしていて、神と永遠について瞑想に耽っていた。群衆の只中にあって、独居のときと同じような温和さと独自性とを保持する人のみが強者である。各個人の場合も人々の集団の場合も理性こそ人間生活の唯一の指導者である。形なき想いは遠くより来たり静かに忍び寄り深く潜む。これを克服し制御する者は、その誘惑を免れる。善き思いは、やがて善き行為に繋がる。すべては思想にかかっている。思想はこれを制御することができる。それゆえ、肝腎なのは自己完成である。思想の涵養である。誰しもただ自分自身と対面する。問題は、自分自身はどんな存在かということにかかる。自分のつくりだすものだけが自分のものである。自ら罪を造りて汚れ、浄不浄は己に属す。神との交流を確立する。彼は詩人であって、人生を幻影と夢で満たしていた。何もかも終わった！我々の存在の神秘的抱合のなかに、あらゆる願いと衝動との完全な融合のなかに、ただ一つの言葉が、横たわる深淵を照らし出す。人間が負う十字架は、神の意思を表す大きな縦の部分と、人間の意思を表す小さな横の部分とによって成り立っている。それゆえ自分の意思を神の意思と同一方向に向けるならば。内的生活と神の意思との一致である。自分の意思を神の意思に従属させた。神に身を委ねる。生きとし生けるものと精神的紐帯によって一つに結ばれている。万人との合一の意識による認識方法によると、あらゆる存在者が我々の私と同一のものと見え、彼らの姿は我々の心に同情と愛を喚起する。真理は永遠不変なもの、いかなる世界においても同一のもの、神と一体にしてその権能を帯びるものであることを認識せよ。愛による合一に基づく神の国の建設に近づいていく。一人の人間にしても人類としても、成長の可能性はまさに神にあって無限であるから、絶えず脱皮変身してより低い状態からより高い状態へ移行する。あらゆる状態はそれに先行する状態の結果である。不断の生成発展の因果律の鎖により一人の人間あるいは全人類に脱皮変身が運命づけられているとしても、その変身は艱難と苦悩のなかにおいて行われる。偉大性を身に纏う前に、光に赴く前に、闇の中を歩き、迫害に堪え、霊を救うために肉体を投げ出す。より力強き完全な生に生まれ変わるために、十字架にかかる。今や廃墟の中で恐怖と苦悩の生活を送っている。去り行くもの、それは不朽の存在者の着古された衣であり、散り行くもの、それは秋の木の葉である。太陽が低くなると冬が近づく。しかしながら冬の後には春が来、万物を蘇らせる春の息吹が訪れる。今はそのときなのだ。神は永劫無限の時間を通して創造しつつあるし、今後も創造するであろう。過去はただ、彼の創造のほんの一部を我々に示しているだけである。運命の高みへ昇って行く。肉と霊との不断の闘争において勝者は常に霊であるが、そうした無限の闘争こそ人生の本質なのである。人生のすべての現象に愛を滲透させる。常に分裂し自分自身と対立している。世界は絶えず完成に向かっている。その完成の意識が最良の喜びとなっており、その完成に参加しうることによって喜びはますます増大する。最も必要かつ重要な研究対象は、自分自身であり、自分の霊的存在である。歓喜と苦痛とを感じるようになった。あらゆる悲痛とあらゆる微笑とを知っている。過去が未来の保証人であってくれるように。私は既にどの程度まで私の本質が既に独自的にしっかりと形成せられ完成せられているかを知っている。すべての方面への同形的な行動を通して、力の完全な統一と充実とをもってそれを維持していく。私の自覚の真実性を新しく、そして常に異なった仕方で私に確かめてくれるあの多様なものを享受する。私は私がまだ曖昧な一般性のうちに漂いながら、つとに独自の見解と規則との欠如を痛切に感じている箇所を知っている。既に長い間それらすべてのものに力が伸ばされているのである。それらのものを行為と省察によって包摂し、既に私の内にあるすべてのものに親しく結び付ける。すべてのものを一緒に、また順次に獲得していく。最も美しい展望が前に開けている。やっとトンネルを抜けて、違う風景がひろがった。激烈強烈猛烈な勢いで上げ騰がり続ける。
