物質の実体は精神であり、精神の実体は自由である。
世界史とは自由の意識の発展である。この発展を我々はその不可避性において認識する。世界史を見るべき変化のカテゴリーから見ると、我々の前には、多種多様の事情、あらゆる種類の目的のもとにあり、また種々様々の目的と運命をもつ、人間の生活と活動の無限の画面があらわれる。走馬灯にも似た多種多様な光景が走りすぎた。すべての個々の出来事の目的、一つの究極目的、騒々しい表面の背後にある労作・・そのうちにすべての過ぎ去っていく現象の本質的な力が保存されているような内面的な静かな秘密の労作を押し進めていく仕事が行われている。哲学史は円、この円は非常に多くの円を円周として持っている。それぞれの思想は、人間の思考一般の発展の大きな円（螺旋）の上の一つの円である。彼らは、習慣から自分たちが受け入れるものは何でも誇張する傾向があった。この美青年は、熱烈で、少し重苦しい声と眼差しとを持ち、殊更輪郭を絵に描いたように整った顔立をしていた。彼は、自分の信念に関しては必要以上に断定的で、ひどく自家撞着していた。彼らは人生を理解し、その悪を赦すだけで精一杯なのだ。大人というものに成りきり、蛹から成虫への苦しい過程を辿り終えてしまうまでは、夢と芸術のなかに潜んでいるものなのだから。群集心理に対する軽蔑的な反動から彼らは、一種の知的で芸術的な自我中心主義、観念的な感覚主義に引っ込み、追い立てられた自我が自己の権利を要求していた。彼は自分だけで満足できるには優しすぎた。彼は世界の苦しみを苦しんでいた。そして、その苦悩の総和を彼は過大に考え、それに押しつぶされていた。今度は輝きは内部から来ていた。すべてが調和していた。思い出と生々しい思いとが調和し、部屋の中の色々の品物、書物、書類までが生気を帯び、失っていた面白さを取り戻していた。
