今日で中心核と枠を一つに合一する。今日中に中心核も枠も一つに合一する。異常に拘り何処までも執念深く執拗に後ろ向きである。そう、良く見れば凄くハンサムで綺麗な顔してるのよ、この人・・幽界では様々な領域で意思や力、記憶や予兆が渾然としている。その中で自我を保つには・・異常な拘り執念深さである。死んだものは更にここで変化し分解してその固有の元素に還る。それは宇宙の元素であり、また君の元素でもある。万物はそれぞれある目的のために存在する。自然はものの発端や経過のみならずその終末をも自己の目標の中に入れた。あらゆるものがそこから一丸となって出てくる万物の源泉に関連させて受け入れる。君は自然による統一の外へ放り出されてしまった。君は生まれつきその一部分だった。ところが現在は自分で自分を切り離してしまった。ただしここで素晴しいことには、君は再び自分を全体の統一に戻すこﾆが許されている。一度ばらばらに切り離されたものが再び元通りに集まる。見よ、光栄にも神が人間に注ぎ給うた慈愛を。宇宙の自然は自分自身にかぎられておりながら、その中において腐敗したり老廃したり不用になったりしたように思われるものを悉く自分自身に変化せしめ、これらのもの自体から他の新しいものを再び創り出す。自分の場所、自分の材料、自己独特の技術でこと足りる。人間も神も宇宙もすべて各々固有の季節に実を結ぶ。今日私はあらゆる煩労から脱け出した。あらゆる煩労を外へ放り出した。またしても糖分が脳細胞に染み込み渡り浸透する。発想するのに制約条件や枠は取り払う。心のタガを外し自由に連想する。真に自発自展的な純粋経験とは、存在と当為との単なる抽象的対立を越え、これを自己自身の内的分裂として自発自展的に進み行く動的一般者と考える。それ自身によってあり、それ自身によって理解せられる実在は、多と一との矛盾的自己同一として、表現するものとせられるものとの自己同一において、自己自身の重心を有し、作られたものから作るものへと動いて行く。多が何処までも一を一が何処までも多を表現する。私の主観の中にあった。万物は変化しつつあり、君自身も絶えざる変化の中にあり、ある意味で分解しつつある。然り、宇宙全体がそうなのである。形相因に遡れ、これをその素材から分離して眺めよ。すべて現在君に与えられているものは神々から来るものであり、神々の善いと思うものこそ、現在においても未来においても君にとって善いものであることを自分で納得するようになるのであろうか。またかの完全なる善なる正義なる麗しき存在、すなわち万物を生み保ち包容し分解するものを集め其処から他の同様なものを創り出す者を護るために、神々がこれから与えようとするすべてのものもやはり君にとって善いものであることを納得するようになるのであろうか。何事が君に起ろうとも、それは永遠の昔から君に用意されていた事なのだ。そして諸々の原因の交錯は永遠の昔から君の存在とその出来事とを結び合せていたのだ。自分が全体の一部分であることを記憶しているかぎり、あらゆる出来事に対して満足しているであろう。人生は必然的に幸福に流れ行く。万物はいかにして互いに変化し合うか。肉体を脱ぎ棄てる。魂が肉体から楽々と抜け出て行く。自然は君をこの人々に結び付けて一緒にした。その絆を今日自然が解く。意識が肉体を離れて行く・・自然に適った行為の一つである。理性的な魂の特徴。自己を眺め分析し意のままに自己を形成し自己の結ぶ実を自ら収穫し・・人生の終止符が何処かにおかれようとも自己固有の目的を達成する。私は自分のものを完全に所有している。理性的な魂は全宇宙とその周囲にある虚空を経巡り、その形を究め、時の無限の中に身をのばし、万物の周期的再生を包容し考究し、かように万物は同一であるから、過去に存在したもの及び未来に存在するであろうものを尽く見た。魂が光に照らされて輝き、その光によってあらゆるものの真理と自己の内なる真理とを見る時、その魂の姿は球形である。自分の行動については正義に身を委ね、その他自分の身に起ってくる事柄については宇宙の自然に身を委ねる。宇宙の自然が個々のものにもたらすものは個々のものにとって有益なものである。しかもこれを齎すその時において有益なのである。宿命的必然か、動かすべからざる秩序か、慈悲深き摂理か、または渾沌か。我々のあらゆる行為の総計であるこの人生、時には或る個人の内なる自然である。その自然の各部分が変化することによって全宇宙は若く壮んに保たれる。全体にとって有益なことは常に美しく、常に時に適っている。全体と動きを共にするもの、かように神と同じ道に従って身を運び、自己の判断により神と同じ目的に向って身を運び行く者は、実に神に運ばれる者にほかならない。主観を外へ放り出せ。そうすれば君は助かる。ストア哲学の倫理のドグマ信条に従えば、宇宙は一つ、即ち神も物質も一つである。神または元始の存在はその形成的能力をもって物質の上に働きかけ、自分自身の中から先ず宇宙を創り出し、この宇宙はその後因果律に従って変化を続ける。しかしこれは火によって周期的に破壊され、その残骸の中から再び新しい宇宙が創造される。以上の考は汎神論的であり物質的であるが、しかし他方においてこの神的な力はゼウス、原因（形相因）、宇宙の理性、法律、真理、運命、必然、摂理、等とも呼ばれている。人間は肉体（肉）、霊魂（息）、および叡智（指導理性）から成る。指導理性は宇宙を支配する理性の一部、即ち神的なものの分身であって、これが人間の心の中に座を占めるダイモーンであり、人間の人間たる所以のものである。我々が運命に忠実であることによって神々の安寧と繁栄に貢献する。内心の営みにのみ本拠を置いて其処に独立と自由と平安を確立すべきである。これらの断片を統一するものは彼の終始一貫した心構えにある。異常な拘り執念深さである。死んだものは更にここで変化し分解してその固有の元素に還る。それは宇宙の元素であり、また君の元素でもある。万物はそれぞれある目的のために存在する。自然はものの発端や経過のみならずその終末をも自己の目標の中に入れた。あらゆるものがそこから一丸となって出てくる万物の源泉に関連させて受け入れる。君は自然による統一の外へ放り出されてしまった。君は生まれつきその一部分だった。ところが現在は自分で自分を切り離してしまった。ただしここで素晴しいことには、君は再び自分を全体の統一に戻すことが許されている。一度ばらばらに切り離されたものが再び元通りに集まる。見よ、光栄にも神が人間に注ぎ給うた慈愛を。宇宙の自然は自分自身にかぎられておりながら、その中において腐敗したり老廃したり不用になったりしたように思われるものを悉く自分自身に変化せしめ、これらのもの自体から他の新しいものを再び創り出す。自分の場所、自分の材料、自己独特の技術でこと足りる。人間も神も宇宙もすべて各々固有の季節に実を結ぶ。今日私はあらゆる煩労から脱け出した。あらゆる煩労を外へ放り出した。内部に私の主観の中にあった。万物は変化しつつあり、君自身も絶えざる変化の中にあり、ある意味で分解しつつある。然り、宇宙全体がそうなのである。形相因に遡れ、これをその素材から分離
