人々の宗教的実験と神秘的なものへの興味は、自ずから神秘主義へ行き着くことになった。多くの宗教が神秘的なものの存在を訴えていることは、人間の魂の内部にあるものが普遍的であることの証明である。それは同時に、それぞれのドグマによって隔てられることはあっても、宇宙的一者に対する希求をもつ各宗教の間には真の繋がりが存在するということでもある。「新神秘主義」と呼ばれてきたものは、多くの様々に異なった形の体験と探求を包括したものと考えられている。合一のヴィジョンが存在し、そこでは多くの対象の中に、あるいは対象を通して感覚によって一者を覚知する。その結果「すべては一である」。一者は、内的生命、あるいは万物の内に現存するものとして把握され、その結果、万物は生きている。実在感があり、その実在感は客観的かつ真実である。満足、喜び、至福感がある。聖なるものの感じがあり、それがこの体験のとりわけ宗教的な要素である。
神秘家が自ら真実にして真相であると認めたことを表出し言葉にした。この真実と真相は神秘家の体験そのものから来ており、それは実際に試され確信が得られたものである。宇宙についての究極的な真理を述べると説く信仰や体験について述べる。存在の核において神秘的合一が行われるという神秘主義の確信のみが、すべての知識や学問を成立させている秩序と連続性をもたらしうる。善にしてかつすべての存在と価値の源泉である神なる一者と人間の魂の合一を説いた。一切を超えたものの中に完全に吸収される。神秘家は目に映るすべての神的属性を飛び越えて個物から普遍へ上昇する。そしてついには、あらゆる事物の背後に隠れているものを直接認識し、更に現実に存在する事物の中にある光によって隠されている超本質的な闇を観照する。魂と神との合一および人間の段階的な神化、浄化道、合一道、という神秘的な三つの階梯、後代の多くのキリスト教神秘家の教説に現れる。神秘家は、神秘的な観照を重ねることによって、出発点の「無知」から上昇し、到達できる限界まで進んで、「すべての存在と知識を超越したもの」との合一へ向かうという。霊的直感や高揚感を、神秘的知識を獲得する方法として信頼する態度である。神秘家は、世界についての新しい見方や理解を提示する知恵をこそ求めている。“一粒の砂に全世界を、一本の野の花に天国を見、己の掌の中に無限を、一時間の内に永遠を把握する。”究極的には一貫性と整合性を備えた唯一の満足できる論理形式、つまり神秘主義的論理形式の存在が明らかにされるだろう。事物の中心、存在の核における神秘的合一を発見するということは、日常活動に意味を与える真の知識なのである。エクスタシーの中での観想によって、神性との合一の可能性を信じ、観想または自己放棄によって神的存在との合一またはそれに吸収されることを求める。汎神論とは、神または神的存在が万物であり、万物は神であるとする思想である。単純な合一表現を、オールインワン主義と呼んだ。ウパニシャッドの「お前はそれである」「私はブラフマンである」という言葉、個々の魂は永遠かつ唯一の真実在、究極の存在であることを意味している。
