今漸く中心核と枠との融合の時・・
16歳にそのまま肉付けしされた今、16歳がそのまま大きく高く強く逞しく美しくなった枠、何もかも全部一つにするのは簡単容易な筈だ。こーんなに無限の力に溢れ広大無辺な領域を持っているのに心は恐ろしく静かだ。本っ当に仏教系でもキリスト教系でも、思想哲学宗教書などには書き留めておきたい言葉も沢山、生きる指標、思考の助けになるところが沢山あります。それでもこの苦しさの根本的な解決には程遠い、力が欲しい・・最終的には自分の望みは「全体との合一」という唯その一言に尽き集約される。当然その全体の中には昔の自分も居るわけだ。人もし先に悪業を作るも、（後に）善をもってこれを滅ぼせばよくこの世間を照らす、雲を出たる月のごとく。地上を統治するよりも、また天に往くよりも、一切世界の王位よりも預流の果を勝れたりとす。自分の生涯を自己完成のために献げてきた人は、いつも前方を見ている。立ち止まっている人だけが、自分のしてきたことを振り返って眺めるものである。自分自身に対する不満が、理性的生活のための必須条件である。この不満のみが、自己鍛練の動機となるのである。人生の諸法則を知ることは大いに重要である。しかし我々を自己完成へ導く知識こそ、最も重要な知識である。もうすぐ中心核が出来上がる？枠も中心核の中に入って中心核と共に一緒に進化成長発達発展していく。漸く枠が中心になった、枠が中心核に入った、枠が己の世界の中心だと意識できる、あとはどんどん力も気もエネルギーも戻って来るだけだ。己の本性本体を知り把握し理解し認識し自覚できる。完成しされた全体をイメージできる。16歳から広がる軌跡道程も枠に来るから若くなれる若返れる。言葉は行為である。温柔なる者は、自我を離れて神と一体になる。人は謙遜であればあるほど自由であり強力である。芸術とは、ある人がほかの人々に対して、一定の手法によって意識的に自分の経験した感情を伝え、その結果、人々に感情が伝わり、彼らもまたそれを味わうことである。真の芸術作品は、それに接する人の意識のなかで自分と芸術家とが一心同体となり、更には自分と芸術家だけでなく、同じその作品に接するすべての人々と一心同体となるような作用を及ぼすものである。そこに個々の人の他者との分裂からの解放、孤独からの解放があり、こうした個我の他者との融合のなかにこそ、芸術の魅力、芸術の功徳がある。新しい意見、新しい思想を伝え、新しい感情をもたらす。神は常に存在する。ただ一人荒野あるいは牢獄の中に居ても、せめて思い出や想像や思索の中ででも神を愛し、その悉くの顕現を愛することによって、愛の律法を遵奉することができる。人間の最高の特質は、彼が精神的安定状態にあるとき、その意識が理性の源泉と交流して、無限の霊的生命と融合しうる点にある。神の子としての自分自身に対する義務がある。人類は長く存続すればするほど、諸々の迷妄から解放され、生の掟がますます単純なものに見えるようになるであろう。すべてを研究し、理性に第一の座を与えよ。人生とは、自分の使命に関する真実をますます多く把握し、ますますその真実に従って生きることである。自分が放棄したすべてのものを取り戻すだけの生産力を秘めている。己の永遠の姿に復帰する、己の潜在的可能性に復帰する。世界中の何もかもが成長し花を咲かせ再びその根に帰ってゆく。その根に帰ることは、自然にかなった安静の状態に帰することである。自然にかなうことは永遠を意味する。またしても精神的肉体的に素晴らしく充実した状態になった。中心核枠は唯一無二の光り輝く絶対的圧倒的存在として、全世界中を支配統制統括し、全時空間に影響を与える。中心核枠だけが、地上最強世界最強の戦士たりうる。汝を創造せる神を愛せよ。汝に神の言葉を教ゆる人を日夜思い出し、彼を主のごとく敬え。なぜなら、汝が主について教えてもらえる人のところに主も在すからである。人間は愛すれば愛するほど、その人生は自由で喜びに満ちたものとなる。我々の生命は我々の中に住む神の霊の中にある。万人への愛に向かって注ぐ。万人を愛すること、愛の根源を愛すること、愛を愛すること、神を愛すること、そのことさえ悟れば人生の意味が明瞭な悦ばしいものとなる。愛が人間に幸福を与えるのは、人間は愛することによって神と一つになり、自分の持っているもののすべてを、自分の全生命を人に与えることを望み、そのように自分を神に献げることに幸福を感ずるからである。愛することは己を神に託すこと、神の欲するところを行うことです。我々の生活を我々の内なる愛の強化に置き、世間は世間の欲するままに、つまり天が命ずるままにその道を歩くに任せよう。自分自身にも最大の幸福を受ける。      
