仏のような偉大な自分自身が向こうに行く先に出来上がりつつある。どんどん完璧になっている。理想の自分は其処に居る有る存在する、あとは只唯それに委ね任せ依存し縋り頼み入り込み寄り掛り嵌り填り込み同化するだけだ。枠の意識の根本源元ごと中心核に移動する。二人を比較すると違いは差は凄まじいけど、二人は一人に成る訳だ。今の卑小な自分と外の偉大な自分が一つに合一する。巨大な黒い塊である。一寸した事でも激しく辛く感じ深く傷付いてしまう。彼の人間性の独特な性質の深化、高揚、強化を意味し、病患こそが一段と高められた人間性の貴族的な属性のように思えてくる。明らかに人間の価値の高め方には二通りあります。自然の恩寵によって神的なものへと高められる。自然に対立し、自然からの解放と自然に対する永遠の反逆とを意味する他の力による恩寵、即ち精神の恩寵によって聖なるものへと高められる。自然を見るためには自然から離れなければならない。私自身が自然だったのだ。自然を見るということ、自然の享受なるものが、同時に特別人間的な情感的憧憬的な病的な状態であるということ、自然からの分離を意味している。一人一人が負うべく定められている十字架の感情、永遠の昔から慣れ親しんだものから別れるのは辛いことだった。離れることのうちに、人間化の過程のうちに、それ以後の彼の生涯の戦いがある。あらゆる存在はすべて完全でありまた必然である。世界は窮極原因や窮極目的からは自由であり善も悪も等しく世界に存在する権利を持つ。我々は芸術作品それ自体における、またそれ自体に即した完璧性のために戦う。もしも哲学が、我々が自然と一体であるという根源的な感情を高め確実なものとし、そして深い静かな直観に転化させるならば、私は哲学を歓迎する。自分の見識をより豊かにし、自分をよりよくし、人格の内容を認め、真であると認めたことを発表する。最も奥深い極めて個人的な苦悩、自らの魂の救済に対する最も深刻な憂慮、自分自身に対するたえざる不満の感情、人生の意味をたえず苦しみながら追求すること、彼の社会主義の根源であった。知的懐疑と、自然児に特有なあの精神への恭順との爆発、「確実な解決への要求を胸に抱きながら、この永遠に波打ち、寄る辺なき善悪の大洋に投げ込まれた」人間の運命に対する壮大な悲歎がある。矛盾の全てを許し命じたものの善意と英知とは無限である。哀れな虫けらの如きお前にだけ、厚顔不遜にも全能者の法則と忠言とを知り尽そうとするお前にだけ、それは矛盾と見える。全能者はその光り輝く無限の高所から慈悲深く見下ろされ、お前たち皆がその中で永遠の矛盾だと考えながらうごめいている無限の調和を楽しんでおられる。人間の本質の表明は、すべて、一つの明確な統一体をなすように仕上げられる。感傷的理想主義と叙事詩的芸術意識との対立、直観と奔放な幻想との対立は永遠のものです。自然の静謐、謙譲、真実、力強さは、精神のグロテスクで熱病的で専制的な大胆さと、対立し続ける。少年時代に与えられた神の賜物に感謝する。主よ、最も優れた者、宇宙の創造主と支配者であられる貴方に、私たちの神に感謝を、たとえ貴方が少年時代のみを私に与えたとしても捧げよう。私は、その時代においても存在し生活し感覚していた。私が生れてきた最も神秘的な統一のあとである私の存在、少年時代に恵まれていたすべての善のために、賛美の叫び声をあげよう。私は罪を犯していた。私は、彼の創造のうちに、私と他の諸物とのうちに、快楽と崇高と真理を求め、苦痛と混乱と誤謬に陥った。私の歓喜、私の名誉、私の信頼である私の神よ、私は貴方の賜物のついて、貴方に感謝する。貴方はそれらの賜物を私のために保持してください。そうしてこそ、貴方は私を保持されるであろう。また、貴方が私に与えられたものを増大して完全になり、私自身も貴方と共に存在するであろう。私が存在するということも貴方の賜物である。青年時代とその罪の回想・・私は自分の過去の汚れた振る舞いと肉に纏わる私の魂の堕落を想起しようと思う。私は、思い出の苦味をなめながら　私が迷って来た邪悪な道を振り返る。偽りなき甘美よ、幸福で確な甘美よ、貴方が私にとって甘いものとなるために、私が貴方という唯一のものに背いて多くのものの中に消えてゆくあいだに、ばらばらに引き裂かれてしまった分裂から、私を集めてくださるように私は振り返る。貴方は教えるために苦しめ、なおすために傷つけ、私たちが貴方から離れて死ぬことのないように私たちを殺す。私は、肉体の年齢十六歳のとき、私はどこにいたのであろうか。私は貴方の家の楽しさから何と遠くさ迷っていたことであろう。実際私は肉欲に支配されて荒れ狂い、全く欲望のままになっていた。
