〈他人は地獄だ〉というサルトル的発想からいけば、風景の中に生き続けることは一つの理想、現実にその夢想が実現したとなれば話は別である。今苦境（精神的）にあるのだ。彼の魂はともすれば悲しみの情念に揺り動かされて動揺していた。しかし、すべてが粉々になって世界の中に溶け込んでいこうとする、その果てにおいて、すべてが失われた寂寞たる空間の上に不思議な明るみが現れ忽ち辺り一帯に拡がっていく。自分が世界と一つになっていくという悲しい深い慰めがどこからともなく訪れてきたのである。古代人がもっていた宇宙的感覚にたとえる。彼は風景に一人佇んでいる。辺りの空間一杯に広がる静寂の中でじっと孤独をかみしめている。ただ人間であろうとするときに、人間が孤独に陥る必然性をもっているとするとどうであろうか。彼はただ自分に与えられた究極の〈愛のかたち〉にしたがおうとしているだけなのだ。それはこの世に生まれおちた、その瞬間に既に与えられていた始源的感覚に深く根ざすものであったのである。孤独は限りない悲しみであると同時に一つの深い慰めとなる。悲嘆と慰めが一つに融け合って、その奥からある感動が迸り出てくる。
