うわー、やっぱり立ち上がると物凄く大きいなー。こういった本の思想や哲学が生きる指標、思考の助けになることは沢山あるけれど、それでも本質的な問題解決には遠いか。思想の進展における異なる段階の生起は必然性の意識をもって見るとき、はじめて明らかになる。各々は順次、必然性に従って出て来るし、また必然性に従ってのみ特定の規定と形態は現れることができる。この生起の唯一の在り方、即ち諸々の形態の由来、諸規定の思惟的認識的必然性を叙述することこそ、哲学の課題であり仕事である。精神の存在は精神の行動である。精神の行動は自分を知ろうとする行動である。自分を自分自身に外的なものとして定立する。自然はそれがあるがままにある。その変化はただ繰返しであり、その運動は単に循環である。自分を知るかぎりにおいてのみ精神としてあり、汝自らを知れ、精神の本性を表す絶対的命令である。意識は本質的に、私そのものが私にとって対象であるという意味を含み、この絶対的判断〔原始分割〕によって、私の私自身からの区別によって精神は自分を定有てする。定有と時間における存在とは、それ自身も本質的に有限的である個別的意識一般の契機であるのみならず、また思惟のエレメントにおける哲学的理念の発展の契機でもある。理念はそれ自身の中にありながら定有の中に現れる。思惟のエレメントの中にありながら外面性の中に現れる。時が経つほど時間が流れるほど、全部の記憶が鮮やかに当時以上に超現実的に甦って来る・・心の傷が深く抉られ血が流れ出す・・なんで昔を思い出すと嫌な事ばかりが思い出されるの？
