またしても一つの新しい世界への扉を開いた。
そりゃ確かに己の領域自体は肉体の枠を遥かに超え越えて全体まで広がっている、しかしそれでも意識は肉体の枠にしがみ付いたまま、意識も肉体の枠を完全に離れ放れて中心核に、肉体の枠も引っ張って持って行ってもらう。そうすれば肉体の枠も優れられる筈だ。枠の動きは世界の動き、枠の呼吸は世界の呼吸、枠の鼓動は世界の鼓動、血を出し流せば、血が出流れれば、世界に脈動が伝わる、世界と呼吸を共に出来る、世界と一つになれる。そんな若さでどうしてあれほど多くのことを知りえたのかと理解に苦しむほどの広い知識を具え、飛び抜けた独創的な精神の持ち主で、それがまた自然で開放的で子供のように天真爛漫な行状と最も不思議な仕方で渾然と一つになっている。大きな精神的運動の包括的な概観、洞察の深さ、天才的な直観の広さ、精神的世界の全体にわたる企画、思想史的に支配しようとする意欲、自己と自己の想念との完成にのみ孜々としてきたこの精神をいかに驚嘆させたか。彼の頭脳はまさに驚嘆そのものであった。湧き上がる着想、才気煥発な天性が圧倒した。彼において全くの天才を見た。彼は言わば眩惑された。彼の内奥の潜在的本質を初めて破開し、世界的なものへの限界の拡大と創造的な前進に向かって彼の本性が援助の手を必要とした時期に、彼の前に立ち現れた。何処か人を食ったような顔と表情と態度も印象的だった。自身の本性の発展とその内的経験の歴史の告白である。領域も気も力もエネルギーも能力も無限なのだ。性愛や性欲は一つの自然的な、神からの贈り物として承認され、倫理的精神によって潔めらるべきものと考えられる。性愛における感性的なものと精神的なものとの相互浸透が要求せられ、これによって性的官能性は倫理的なものの段階に高められる。相互的補足の関係に置かれ、神秘的な仕方で相惹き、互いに倫理的に助成し合い、また完全な生命的共同によって一つの意志に、いな一体に融合する二つの個性の共同体である。人類の繁殖に仕える性的共同は愛の共同体の表現として評価される。このようにして私は、理性が私を支配し、自由と自覚が私の内に宿るようになって以来、変転の多い人生の行路を遍歴して来た。私は青春の自由を美しく享受しつつ、無法な教育の長い苦心の産物である偽りの仮面をかなぐりすてるという仕事を成し遂げるに至った。この美しい存在は純真な青年の心に深い印象を与えた。精神および肉体の魅力と優雅についての嘗て考えていたすべてのものをそこに現実に見い出した。感じやすい一青年の心、まるで別の世界へ移ったような気がする、優れた気高い人々、素晴らしい団欒、崇高な心構え、天界のことのように思える。人間は内に躍動する力を自由に発展させようと努める。我々の生存に十分な内的価値を与えたいというのが我々の要求なのである。この要求を自由な個性意志という思想に結び付けた。漠然たる生の衝動のうちに我々の生存の真理を認めた。この真理を利己と運命との関係から解き放した。すべての外的運命は自由な個性の完成ということに関係づけらるべきである。いよいよ本来の私になっていくこと、これが私の唯一の意志である。あらゆる行為はこの唯一の意志の特殊的な展開である。我々は寧ろ苦しみを欲することによって幸福主義的な生の衝迫を越えることができる。内的個性と外的運命との連関はこのような立場で初めて理解せられる。精神がそれ自身のうちから産み出した偉大な神聖な思想の力と充溢、真実の世界に対する感受性、青年とは、溌剌として周囲のものを受け入れる態度、活動的で主宰的な精神、快活で明朗な心情、老年とは、円熟した経験、慎重な思慮、落ち着いた完成を意味する。倫理の思想はこの二つを精神の内で統一することである。人間の形成であり完成である。精神の衝迫は限りなく認識し所有しようと欲する。永遠の青春という美しい思想は、その人の固有の生に胚胎していたものであるが、やがてその心性に培われて発芽し生長し、ついにその精神において最も完美に開花し結実した。私の内なる生命はこのように自由に嬉々として動いている。内心の自由とその自由の行動との自覚から永遠の青春と歓喜とが萌え出てくるからである。私はこの自覚を捉えた。個性と共同によって完成せられる自由な人間性の讃歌は、永遠の青春を享しむこの若やかなフィナーレをもって終わる。あの広く深く善く且つ美しい精神は、青年において既に長け老年においてなおも若かったのであった。
