頭良く顔良く背高く筋骨逞しくしてなっておく、広げ広がり移動し切り一つに合一しておく、16才も完全復活し完成しされておく、究極完全完璧なる至上至高の理想的完成形にしてなってされておく。脳にも激務の毎日だ、そうすることで鍛え直す。すべてが新しく感じられ別の知性を得たように感じた。ダイナミックな神体験、神の創造のダイナミックな「活き」によって、人間に生きる力と生き方・方向性が刻まれている。神の創造の「活き」が在り方・生き方の根源であり礎である。「創造されつつある」とは、人間が神の創造の「活き」に今も生かされていることを指す。彼は神の創造の「活き」に招き入れられ、ダイナミックな神の「活き」を体験した。主なる神を賛美し敬い仕える。人間の存在は究極目的を指向するダイナミズム（力動性）そのものである。このダイナミズムは恵みであると同時に使命でもある。それによって自分の魂を救う。神が人間にこの恵みと使命を与えたのは、人間を限りなく愛しているからである。従って、人間の心身全体を貫くダイナミズムは、創造の内容豊かな一つの愛の根源的指向性である。完徳に達した人は、絶え間ない観想と知性の照らしによって、我々の主なる神が本性と現存と全能によって一つ一つの被造物の内に内在されることをより深く省察し黙想し観想する。『霊操』全体を一貫する「黄金律」は「各自は自愛神、我欲、利己心から抜け出す度合いに応じて、すべての霊的な事柄において向上すべきものであるということを心に銘記する」これはキリスト教の霊性の「黄金律」でもあるが、仏教の修行を一貫する原則でもある。仏教の中でも特に禅仏教は自己放棄、利己心からの脱却を説き、「仏向上事」（仏をも超えて修行する）を修證の一大事とする。枠も移住する。枠ごと16歳に移動する。こうして神は、自分が精神であるから、自分を規定し、自分の中に有限性を措定しなければならない。精神は自分の観念性によって有限性を超越しており無制限である。精神は制限を飛び越えて行き、制限から自己を、自分の他者から解放し、そしてそのことによって絶対的現勢態を獲得し、自己を真実に無限なものにする。
