哲学もまた道徳と同じ高昇であり、本質的にして内的な同等性によって道徳と一である。知識は知識として、行為は行為としてその各々がそれぞれの仕方で世界をそれが絶対者のうちにある姿のままに模写しようとするのである。枠にこそ根本知が源がある、中心核枠だ、普遍的絶対者そのもの全体全面まで俺の中心核の象徴であり具象具体具現実化した姿が今枠だ。
