東大首席！！IQ６００！！なんて思ってた頃も今。
「ボルヘスの図書館」も俺の枠の中にある。全く俺の枠の全身を全世界中を流れる恐ろしいまでの気の激流の嵐だ。また脳細胞の全部の力も使い切り尽くし果たし眠くなった。これまで以上に自分の内部に没入することで自分から脱する。身体から離脱する。直接的に身体を離れる。これまで過ごしてきた人生を遡行し、これまでの人生を逆の方向に通り抜ける。誕生と受胎を越えて時の流れを更に遡り、最後には遺伝の力と結びつく以前に生きていた霊界にまで到る。人生を逆に辿って霊界にまで到る。身体を離脱するときに全く新しい体験が得られる。外界を越えて拡がり、自分の身体を振り返って見る。いわば自分から離れ空間を充たす。受肉する以前の状態において自分を体験する。身体は以後の存在と見なされる。外と内の代わりに以前と以後がある。この身体離脱によって死から新しい誕生に到るまで遡ってきた領域に本当に参入する。時間を遡り地上生活以前の人生に到る。霊界を予感し感得し認識しつつ、自分が物質を超えた存在であると知る。霊界では霊的位階に属する様々な霊的存在たちが、それぞれの意図、それぞれの能力を結集して、宇宙進化の過程の中に人間を生じせしめた。その神々の眼の前にも、創造の目標として、人間理想が現れている。その人間理想は、人間に許された最高の霊魂生活が完全に成熟した肉体形態の中で実現されている人間を表す。神々の目標として、至高の理想として、神々の宗教として、人間性の理想が現れている。神的存在界の遙かな地平線の上に「神殿」が神々のために現れ、そしてその神殿には神々の最高の芸術的成果である神的存在の模像が、人間の理想像として安置されている。人間は死から新しい誕生までの霊界での自己形成期に、次第にこの神殿の中の人間理想を観るのに相応しくなれるよう成熟を遂げていく。眼の前には、最も崇高な人間理想、宇宙の神々の目標が常に現れている。存在界の地平線上に、または時の流れの果てに、人間性の理想が立っている。空間と時間の外にある事柄の表現だ。神々が内面へ直接語りかけ魂の能力に働きかけ熱してくれる。高次のヒエラルキアの霊的教育者は、自分の力を直接内面へ流し込む。お前は神々のおかげを受ける。神々はますますお前の中に生き、お前を助けて、お前が内的に力強くなれるようにしている。神々の力がお前に働きかけた。それはお前の魂の内的な力となって今お前の中に生きて働いている。更に前進しようと思うなら、お前は今までよりも遙かに完全でなければならない。それは非常に重要な決断の時だ。この瞬間に、大きな誘惑が近寄ってくる。好意を寄せてきた神々は与えうるすべてを与えた。神々はこれまでの人生の中で獲得してきた力に応じて、それに見合う程度に強力にしてくれた。今、神々が与えてくれた力強さが私の中に生きている。不完全なものは完全なものに変化していく。私は神的存在から生まれた。私の知っているすべて、私の魂の知覚と思考と感情と意志に関わるすべては、魂の奥底から生まれた。私の魂のその奥底は神的存在の傍らであり、そこでは時の流れが神的存在と共に流れている。『自分は神から生まれた』という思いで心を充たす。学習意欲満々だ。脳味噌の細胞の一つ一つから力を絞り搾り取り出す。本当の枠は向こう行く先に居る、今と一つになるのだ。彼は過去の記録記憶と広げ広がり続けた己の領域の中に生きて居るのだ。全体が見事に構成されていて、まるで優れた交響曲を聴くように美しい。お前の敵意を通して、お前はお前の中に不完全さを植え込んだ。それは清算されなければならない。内なる力が意識化されるとすればカルマによる清算をヴィジョンとして見る。知覚内容の背後には生命があり、その生命に応じて、生きた天空像、生きた太陽像さえもが自分の内部から現れてくる。内なる霊的太陽の力が輝く。 外からはヴィジョンが、内からはその直観が現れ、互いに出会う様子を見て、ユダヤ人の場合には「ヤハウェ（またはエホバ）が人間の中で自分の世界を見ている」と言った。神が人間の中で思考する。私の中で神々が考える。人間は神的思考内容の舞台だ。霊界においては、物質界において周囲に自然があるのと同じように、周囲に叡智がある。この上なく豊かに周囲に存在している。人生の霊的側面と物質的側面とが相互に補足し調和し合う。
