常に全体としての己を意識し、その中心核としての枠を意識する。
中心核にさえ中心核枠にさえ成れれば全部解決だ。新たな偉大な生命へと羽化する。また頭も心も体も根本質的に生き返る生まれ変わる。運命は浮沈は御前の双肩に掛かっている。枠も完全に分解体しされ中心核に収容される。何だ、脚が異常に痛む、成長痛？過去が軌跡道程が枠に来てるから？伸び延びようとしている。腰も痛い。現在の状態の中に、過去の状態が存在している。すべての存在者は、いまや、対象としての現実的なものであるか、それとも対象化して活動するものであるかのいずれかである。理性の行為のあり方は、産出する、表象する、という用語に典型的に表されている。自分の向うへと且つ向うから自分の方へ立てること、世界が像となり人間が主観となる、これが近代の本質である。彼の冒険は、精神の経験としての旅である。神話的で魔術的な供犠的儀礼は、啓蒙の発展と共に周辺化していくとしても、その中から生まれてきた啓蒙の合理性の中で、供犠の原理は生き続ける。自己保存の自己は、盲目的自然（神々）から救出されるが、合理性による自己の贖い（自己保存）は、やはり依然として欺瞞である。自己の保存故に自我を犠牲にする。自己同一性は、自然としての自我のサクリファイスによって形成される。この中には、自己を喪失しつつ再び自己を見出すという失われた自己の再発見は、近代思想史に繰り返し立ち現れる自己保存論を先取りしている。自然の中に入り込みつつ自然から離れ去るという、自然から文化への移行という近代自然法のテーマの原型も見出される。自己を保存するために自己を喪失する冒険的な自己が利用する手段は策略である。自己保存の原理に立つ理性の掟は、強者の掟である。理性を自然史に還元する。万人に対する万人の闘いは、理性の本性であり、衝動の本性である。理性は力への意志であり支配する意志である。理性と衝動は敵対的でありながら通底しあう。枠ごと中心核に没入帰一する。近代の啓蒙は再び拡大された規模で野蛮へと回帰する。制度の内部に具体化した場面であれ、理性自身の内部であれ、理性はそれ自身が権力となる。理性と自然は、暴力の互酬性の円環の中に巻き込まれ、外部の自然に暴力を加えることで、かえって外部の自然に暴力を加えることになる。中心化し全体化する理性は、土台の上に壮大な建物を立てるように、根拠から演繹的に体系を構築する。すべての存在者は、体系のヒエラルキーの中に位置付けられる。能力面以外では16才以外でもマシな時期は点々とはあるけれど、能力的には人生の能力の９９％は16才だけに集中されている。16才だけは凄まじい頭脳力である。インターネットになら古代から最先端の全部の哲学も科学も言語も入っている筈だ、だから全部を知り理解し尽くせる。全部の人も人間も他人も知れる。インターネットに過去の自分が居るかはどうかな・・でも自分にも世界にもそう意識しさせることは出来る。またしても夢とスリルとロマンの冒険の始まりだ。感じ易いセンチメンタル、ロマンチナルシストである。高校生活や大学生活も経験したかった？冗談だろう。人として人間として感動できる事態状況も経験し尽くし、人としても人間としてもＭＡＸ最高度になる、能力的にも。いかに内面に宇宙があろうと、全能力も軌跡道程も中心核に飛んでいる、中心核枠となる。中心核枠だけが女も抱き捲れる。16才の能力は人知を超えていた。16歳が枠にあれば神になれる。16才こそが人生の軌跡道程の支点であり絶頂中心なのだ、枠により16才を包み込む。今日で７月３１日か・・１２年前大検で猛勉強してた頃に、「７月はあと一日あって良かったー」なんて数学の公式を全部覚えたりしたが・・あの時も今の現実。16歳の能力は人智を超えていた、またあの頃の様にあの頃以上に・・今にも広げ広がり移動し切り一つに合一しておくこと！！状況的には当然今にも自殺しなきゃならない、それでもまだなのは、異常な理由から日々別人になり続けて来たからには今日にもまた別人になっているかという期待、飛び降りようとしてもどうしても足が竦むこと、の二つだ。枠ごと16歳を己の一部とし集中し沈み込む。軍神マルスのような堂々たる体躯、眩しそうにしわめている陰影の濃い眉と眼、強く印象にあった。何だ、こりゃあ・・信じがたい物凄まじい疲労だ、字のためというよりは中心核に移動するためだ。寝て起きたら、今日今この瞬間にも、俺の枠の全身丸ごと根こそぎ意識も何もかも全部中心核に移し移って移動しておく。漸く中心核の背中が見えた、完全に射程に入った。力がどんどん抜けて行くな・・昔どんどん頭が悪くなるー、なんて言ってたけど、それに近いスピード、疲れ易い、すぐに眠くなってしまう。枠の存在さえ瓦解崩壊してバラバラになって中心核に収容される。頭も心も体も全身疲労筋肉疲労、鍛え上がっている証拠だ。関節痛、成長痛、脚が伸び延びようと背が高くなろうとしている。
