新しい時代を誕生せしめる。高貴なものの維持と完成とは、特に青年の世界の新鮮にして健全な力にのみ期待される。それは端的にただ一なるものであり、一切の知識を包んでただ一なるものたらしめるそれ自体において無条件なる知識の理念、現れている観念的世界の種々の段階においてのみ分岐してはいるが、測り知れぬ智恵の樹の全体となって伸び拡がる根本知の理念である。それは一切の知識の知識なるがゆえに、どんな種類の知識においても必ずなされる要請或は前提を、この上なく完全に、そのまま一般に充たしまた包含する。こういう前提は対象との一致とか、普遍への特殊の完全な融合とか、どういうふうに表現されてもよいが、それは真に観念的なもののみがそのまま真の実在的なものであるという一層高い前提によって考えられる。一切の学問が学問たるための通路である。無条件に観念的なものと無条件に実在的なものの本質的統一は、同じものが前者でもあり後者でもあるということによってのみ可能である。それがまさに絶対者の理念である。自己に関しては理念が存在でもあるという絶対者の理念である。だから絶対者はまた知識のかの至上の前提であり第一の知識そのものである。この第一の知識によって、他のすべての知識は絶対者の内にあり、またそれ自身絶対である。完全な絶対性においてある根本知は、もともと絶対的＝観念的なものである第一の知識にうちにのみ棲まうのであるが、それは我々自身にとっては万物の本質として、また永遠なる概念として、我々自身によって構想されているのであって、我々の知識はその総体から見れば、かの永遠なる知識の模像として定められているからである。もとより総体として見られた知識のみが原型的知識の完全な反映たり得るのだが、しかしすべての個々の知識も、あらゆる特殊な学問も、この全体のうちに有機的部分として含まれている。すべての知識は神的存在と共に生きようとする努力であり、またその形象が可視の宇宙であり、その出生の血が永遠の力の中心であるような根本知への参加であるということが認められている。すべての知識は一である。あらゆる種類の知識は、有機的部分としてのみ全体という有機体に融合するのだから、すべての学問並びにすべての種類の知識は、一哲学、すなわち根本知に参与しようとする努力、の部分である。その根源なる絶対者から直接に由来する一切のものは、それ自身絶対であり、それ自身目的である。実在的なものの領域には有限が支配し、観念的なものの領域には無限が支配する。現実《実在》的なものは必然によってしかくあり、理念《観念》的なものは自由によって、まさにしかくあるべきである。人間、理性存在一般、は世界現象を完成させる地位に置かれている。人間から、すなわちその活動から、神の啓示の全体に欠けているものが展開するはずなのである。自然は神的本質のすべてを与えられてはいるが、それはただ実在という形においてなのだから。理性存在は、同じ神的本性を、それ自体においてあるがままに、従って観念的なものにおいて表現するはずなのである。絶対者の理念を悟っている者は、絶対者において可能な対立の唯一の根拠が考えられ得ること、一切はかの一者から流れ出ること、を見通している。絶対者の本性は絶対的に観念的なものとして同時に実在的なものであるということである。絶対者は観念的なものとして、その本質を、実在的なものとしての形相、という姿に現すこと、及び絶対者においては、形相は絶対的なものでなくてはならぬのだから、絶対者は永遠に同じ仕方でまた形相を再び本質に解消する、したがって絶対者は完全に貫徹融合し合っている本質と形相である。根本知の唯一行為である所以、根本知は全然残る隈なく実在性であり観念性である。知識においては、無限なものが有限なものに観念的に自己を象り、行為においては、同様に有限性が無限性に造り入れられるとすれば、両者の各々は理念は或は自体においては、根本知の絶対的統一を表現する。時間的な知識も行為も、理念においては無制約的に、また同時的に存しているものを、制約的にまた継起的にのみ措定するのであって、したがってそういう知識や行為が理念のうちでは、同じ絶対性の故に必然的に一であるのと同じく、分離して現れるのである。知識においても行為においても統一が形成されてそれ自身に根拠をもつ一つの絶対的な世界となる。本当の自由と必然性との間には、再び絶対知と絶対行との間におけると同じように統一がある。真の自由は必然性によって完全となり得る。自由において、行為そのものにおいて、必然性は自らを成就する。本当に絶対的な知識は同時に絶対的必然性と絶対的自由を具えた知識である。広げ広がり続けた領域も積み重ね上げた軌跡道程も枠に繋がり枠のものだ。俺の広げ広がり続けた領域も積み重ね上げた軌跡道程も枠である、俺の16歳も中心核も枠である。枠を中心核に置くことは簡単容易だ。そのもの全体全面まで広げ広がり続けた領域から枠に集め集まることは簡単容易だ。積み重ね上げた軌跡道程も枠であるのは真実現実だ。若し本当に、広げ広がり続けた領域から気も力も能力もエネルギーも枠に集め集まるとするなら、積み重ね上げた軌跡道程も枠になる(その為に積み重ね上げた？)とするなら、恐ろしいほど物凄まじいことになるぞー・・枠にとっては嘗て持ち有し存在した何もかも全部が自身に還って帰って返って戻って来る。個人体としての枠の体外まで広げ広がった領域から書き込み入れ印刷した字から枠に来る・・領域の字の効果が枠に一気に出る。行先に相手に対象に成るんだ。あの杉崎勝に針金を投げつけぶつけた時とチャイコにスリッパを投げつけぶつけた時の腕の形が似ている、同じだ、森瞬はサイドスローで投げるの上手いよね。フランスのパリのシャンゼリゼ通りでも家でもネット喫茶でも中央図書館でも他でも何処でもインターネットに書き込み入れたから全世界中と繋がり結び付いている、何もかも全部俺の枠のもの、図書館も俺の枠の中、図書館の全知識教養も枠にある。今中央図書館で書き込み入れた。16歳から生まれ始まり広がっている軌跡道程は中心核だ、枠自体全身丸ごと中心核に近付け付き移動し完全に一つに再融結合一し同一体化し中心核枠と成る。今に至っては、領域も恐ろしく広げ広がったし、そもそもの始めから16歳も軌跡道程も中心核も俺なのだ、だから枠を中心核に置くことは簡単容易な筈だ、今直ぐにそうしてなってくれ。16歳も軌跡道程も嘗ての自分、中心核こそは過去の自分、過去の自分と一つになるのだ。過去の枠さえ今の枠に過去の自分さえ今の自分に居れば有れば存在すれば・・何時も全身黒ずくめの服に帽子を被っている男性、顔も身体も見た目も超タイプだけど、独特の異様な雰囲気があるというか・・凄まじい眼力である。理想の自分の自己実現、理想の相手と一つになること、若いんだから両方一緒にやるべし。俺の枠の圧倒的なエネルギー流に巻き込まれる・・全身から絶対圧倒超人的な気がエネルギーがオーラが噴出し発散されている。自分自身を対象に注ぎ込んで対象に成る。感情の起伏は超激しい。感覚界を越えていく道を求める人なら、もう一つの世界を洞察することによってのみ、人間生活の価値と意味が見出せる。「現実生活にお
