だから今日で枠に一大変化が起こる、枠はまったくの別人となる。
今迄に枠から出て行った全部の力も能力も気もエネルギーも今枠、広げ広がり続けた領域も今枠だ。全世界中は俺の枠の気の領域だ。あの16歳当時の力も能力も今枠にある。これからは、しっかり仕事も出来るようになり女も抱ける。王の容貌には神々しい気品が刻まれている。空間によって宇宙は彼を一点であるかのように包み呑む。思惟によって彼は宇宙を包容する。汝が汝自身にそれから汝が出るところの善に満足するために。哲学は実に多くの容貌と変化とをもっており多くのことを語っているから我々のいかなる夢想もそこに見出される。善においても悪においても。かくも多くの神々がただ一つの顔の周りに騒ぎつつ。記憶は理性のあらゆる働きにとって必要である。我々の生は半分は狂気半分は知恵である。無限の深淵は、無限にして不易なる神そのものによって満たされる。神のみが人間の真の善である。まことの自然が失われたので、すべてが彼の自然となる、ちょうどまことの善が失われたのですべてが彼のまことの善となるように。失われた時を求めて、嘗ても今に甦らせ甦る蘇らせ蘇る。そのもの全体全面まで広げ広がり切り中心核まで移動し切り16歳まで若返り軌跡道程も枠となれば、まだ打開も一発大逆転も可能だ。私は汝らを拵えたものであり、汝らの何者であるかを教えることのできる唯一人のものである。私は人間を清く完全なものに創造した。私は人間を光と知恵とをもって満たした。私は人間に私の栄光と私の不思議とを伝えた。人間の眼はそのとき神の威容を見ていた。彼はかくも多くの栄光を担って、どうしても高慢に陥らざるをえなかった。彼は自己を自己の中心となし、私の助けから独立することを望んだ。彼は私の支配を逃れた。そうして自己の至福を自己の内に見つけようという欲望をもってその身を私に等しいものにしようとしたから、私は彼を欲するがままに任せた。そうして彼に服従していた諸々の被造物をして彼に背かせ、それらの被造物を彼の敵とした。私から遠く離れてしまい、ただ辛うじて創造者の朧気な一筋の光が彼に残っているにすぎない。偉大と栄光との感情を観察する。人間は精神と意志と、この二つの力によって完全に神を知り神を愛し神に従い神を喜ばせ、あらゆる罪から癒され、あらゆる徳を身につけ、かくて聖き者となり、神の友となることができる。神はすべてを治めたもうべきであり、すべては神に戻るべきである。我は道なり真理なり生命なり。神は、天と地とを造りたもうた後、自らの存在の幸福をよく知り、考える手足をもって一つの構成する諸々の存在者を造ろうと望みたもうたのであった。彼らの至福もまた彼らの義務も、また彼らの属しているところの、そうして彼らがお互いに愛し合うよりは更によく彼らを愛してくれるところの全体の魂の導きに同意することにある。手足は、ただ全体の精神によってのみまた全体の利益のためにのみ生命を存在を持ち動きを持つ。すべては一つである。一は他においてある。三つの位のように（キリスト教の三位一体説）。主につく者はこれと一つ霊となるなり。
