嘗ては元々一つだったんだ、また元通り一つに成り戻るだけだ。人間にはこの世の全てを知り尽すのは難しい、でも俺なら、俺なら何もかも全部を知り理解し尽し全体に一つに合一し成れる。欲界・色界・無色界はいわば仏教の三界であり、道の修行者はそこから脱出しようと企てているのである。道の修行者が瞑想において“滅”と名づけられる段階に到達したときに、寂静なるもの、殊妙なるもの、サンスカーラ〔諸行〕の寂、世間的欲望〔渇愛〕の滅却、涅槃という。官能と形状と無形状という三界（欲界・色界・無色界）の上に最高超越の領域として滅界または尽界が位する。修行者は瞑想のあらゆる低級階段を超越して涅槃段階に到達したときに、滅界尽界に入る。涅槃界はまた、不死界、甘露界とも言う。それは生死の輪廻が行われている諸領域の外に存し、あらゆる時間的制約（俗世）から全く超越している不死の至福（不死、甘露）の領域である。仏陀は菩提樹のもとで不死の至福を見出した。瞑想者は静慮の諸段階にあるときに、神々の階級に昇って行く。人間の五十年は四天王の神々にとっては、ただの一日（一昼夜）であり、人間の百年はインドラ神の天国（三十三天）の神々の一日であり、二百年はヤーマの神々の一日、四百年はトゥシタ天の神々の一日、八百年は化楽天の神々の一日、千六百年は他化自在天の神々の一日である。
