意識も枠から離れ中心核にあり！！
そのもの全体全面まで広げ広がり続ける俺に連れ伴い引っ張られ、枠も共に一緒に物凄く素晴らしく良くなり続ける。己は何時いかなる時も常に全体であるから、全部の他者も自分の中に内に内部に取り込まれているのだ。領域は何処までも取り止め限りなく広がってしまう・・それでも16才さえ軌跡道程さえ枠にあれば・・死ぬのが飛び降り頭割り自殺するのが最善の道なの？道々独り黙想に耽りながら歩いていた。本体は中心核だから、枠も直接移動するだけだ。枠自体全身丸ごと中心核に引っ張られ嵌り填り込む。ただ漠然と想像し予感していたところのものを、はっきりと、すなわち真理を認識しかつこれらを最高所から通観し、必要に応じて修正深化させる。イデヤとは有限なる諸現象の本体且つ原型として時処を超越せる不生不滅の実在である。イデヤが現象界との関係を超脱すればするほど愛もまた高尚となり遂には理性は一切の感覚的なるものを脱却せる純粋な美の本体を直観するに至る。これこそフィロソフィヤ即ち智慧の愛求であり、道徳的にも知識的にも人間向上の最高段階である。字のせいか精神も魂も中心核と枠とに分裂しているから、こんな様か。愛あるが故に理想を最高認識を希求憧憬し、一度自らこの境地に達したならば、最高の愛の情熱に駆られて、美を現象世界に善を人間社会に実現せんとの熱烈な願望を抱くに至る。人生の目的が、永遠なる者の超地上的なる美ないし善ないしイデヤの直観と最高の道徳的完成とに到達すること、およびかかる心境に相応しく活動すること、しかもこの目的を達成するに当って心霊に最大にして必須なる助力を与うるものは、人間の衷に宿れる憧憬の感情すなわち愛に外ならぬ。霊的愛の高貴なる理想が人生において実際また実現し得る。終局目的はやはり教育のかつ真理探求の不可欠なる原動力としてのエロスの讚美にある。継承した遺産を更に発展せしめ、いっそう広い領域に押し拡げたものであると同時に、彼自身の本質の特徴を成すものである。愛が生命を得、そうして血と肉とを受取った一人の人間を、永遠なるものと無限なるものとの獲得に対する欲求のみならず、理性の正しとし善しとするところのものを愛に駆られて、かつ神明の召命に従って現世に実現せんと努力する一個の人間を提示しようとする。最美かつ最完全にして真に渾然たる作品、全然独特無二の地位を占むる稀代の名作、極めて典雅かつ自由自在、しかも自然、活気に充ち全体の構造が深きかつ周到なる考慮の余に成った。刺激を与え続け次々に新発見して常に驚嘆する。活動の極致を示し、最も厳密かつ充分なる意味における芸術作品である。彼の魂のいかに偉大であったか、真の哲人とはどういうものであるか、独特無二の人格のあらゆる側面、その超人的一面と人間的一面とが、その強大なる自制と感覚美に対する感受性とが、あらゆる肉体的苦痛と危険に際して発揮される信ずべからざる克己心が、その真剣なる面と皮肉で諧謔的なる面とが、その社交的性向と少年愛とが、生き生きと鮮やかに描き出されている。互いに補足すると同時に好対照を成し、一方はまさに死なんとする彼の浄化せる姿を、完全なる生活芸術家としての彼を表現し、前者の全体の色調が暗くかつ沈痛であり厳粛なる空気が漂っているのに対して、後者のそれは極めて明るく陽気で燦然として光り輝いている。フィロソフィヤが人間を最高美と最高善と浄福とに到達せしむる力を持つという確乎たる信念を抱いていた。プラトンの諸作中最も鮮やかにその本領を発揮せる。饗宴が有する不朽の魅力とその強大なる効果とは、最高の形式美と最深の思想と最高の徳性と、この極めて稀にしか結合されざる三者がここに渾然一体を成していることに基づく。全世界中を飛び跳び走り暴れ遊び狂い回っている。鼻糞をほじくるって食べた。また過去の自分が今の自分に過去の枠が今の枠に押し寄せ今に居る。1994年,12年前から今迄の流れは、想像を超え越え過ぎていて、予想予測の範囲を逸脱し過ぎていて・・あの16才のような今！！柄を自分の体の一部手の延長と思って気を集中する、全身の力を吸い取られるみたいだ。最初の勝利に酔っている、前途に輝かしい希望を抱き意気揚々たる両者の気分、彼の心は新しき事業とその前途に見られる喜ばしき希望に充ちていた。濁った心と共に一緒に重苦し深さも性欲も全部中心核に飛んで持ってかれてしまった。技術的にも高度だが、その分システムが複雑化大型化し、コストも高くなってしまう。大きな存在として包み込んでしまう。その詩的天分を最高度に発揮する本篇は、純歴史的意図をもって書かれたというよりも、寧ろ単なる史実を超えて観念化された、即ち本質的意味における真実を伝えようとしている。真実の歴史に属する具体的細目を含むことはあっても、ここでも史実の上に多少の手心が加えられることもあるであろうが、全体としてはやはり観念化された真実を伝えんとする歴史小説と比較することも出来る。真の愛の化身を観た。実際彼もまたその生涯を通じて終始気高く且つ熱烈なる愛者であり、不惜身命の理想追求者であったのである。己の全存在ごと身も心も捨て去る覚悟で預けるだけ突っ込んで飛ばし飛んで行くだけ。高遠なる理想の実現、美しき若者に対する愛情を解する者として戦場における勇士としての面目躍如だ。全貌を描出した。その思想は散漫かつ漠然、範囲を拡張して全自然と芸術との裡にも支配する一原理として認める。取扱い方は宇宙的である。言い換えれば、前には個々人という小世界ミクロコスモスとその団体たる国家社会すなわち中世界に限られていた議論が、今や宇宙という大世界マクロコスモスにまで拡げられて来たのである。同一原理がこれらの三世界を一貫しているのは彼の信念なのである。見た目から内面から能力から何から何まで圧巻です。彼によれば、幸福をもたらしまた人間相互の間にも、人と神との間にも友情を生ぜしめるものはただ真誠のエロスのみである。彼は更にあらゆる種類の秩序コスモスはエロスによって保たれ、ついには教養ないし教育までもエロスを必要とすると説く。人間と神々との関係を、すなわち宗教問題を論ずるに及んで、この独断的自然探求者の務めは終を告げる。神々と人間との媒介者としてのエロス。孤立せる人間は人間の本質に照して不完全な者であるということ、互いにその短所を補う為に相結合せんとする切願を抱いている。人間が神々に対して敬虔かつ従順であるならば、真誠のエロス、彼の自我のこの第二の半分に対する無条件的傾倒または献身は、離れ離れになっている者を再び元の一体に恢復し、そうして本来相互依存の関係に立てる人々を実際に結合せしめる。離れていた二つが再び一つになるのだ。人生を一つの完き統一された全体として観、これを不完全なる現状に対する理想状態として対置し、エロスをばこの理想追求の努力と解する。エロスは肉体の美から精神の美,更には美そのものへの渇望すなわちフィロソフィア(知恵の愛)にまで高まると説く。愛とは何者かに対する愛、愛は対象への一種の憧憬または渇望、美しきものに対する愛、美は善なのであるから、この考えは愛の最高段階を準備する。抽象的に展開されている愛の特徴を具体的に描写する。エロスは人と神との賢と愚との中間に立つ。有
