美の中では両方の岸が一つに出会って、すべての矛盾が一緒に住んでいるのだ。
存在形式それ自体が謎であり、ドストエフスキーの神学の酵母となっている。美を神と対置させたり(ワイルド)、対決させたり(ボードレール)する代りに、美の観念の次元を高め、人間存在の内に行われる神と悪魔との争いをも美という存在形式で包括した。全美学体系の結晶、自身またはその反映、自己放棄の反映である。彼の分身、彼よりも更に巨きくやがて彼自らを支配し彼を永遠の未知へと誘いゆく第二の彼、郷愁の本然の対象は無限に変転して必ず自己自身の中へ還って来る。抽象に迄高められた別離の光景は、彼にとり二重の別離、二重の輝かしき出帆である。彼は夢見た。彼自らによって探求し尽されなかった彼の約束・・言い換えれば彼の今や失われんとする形態に可能であった筈の凡ゆる約束が、彼と同一化し飛翔し約束それ自体として神のように荘厳に孤立し、日没が我らになす宇宙的な罪障の戦きを以って彼自身の目に凝視められる一卜時を。かくて凡ては終熄した。一瞬間に凝結しており様々な現代の事象の大海の上に彼が落とした一滴の現代と、彼が失い且つ再び見出した尨大な時とは、とてつもない対照を示している。自由意志による未決定という現代史の観念を無意志的記憶という観念で裏返してみせた。もっと真面目にやれ本気を出せ！！夢想と未知への憧れと冒険欲と行動への衝動・・「どんな障害を打ち越えても何事かに到達し何処かへ到着してやれと言う途方もない希望」・・正に少年期のこうした典型的な衝動、脳天気野郎が・・陰鬱な美青年、冷たい知的構成、一種の瀟洒な気取りがあり、荒涼とした避暑地のブルジョア生活があり、そこに現れる主人公、みるみる顔が紅潮してきた。現在ばらばらに分裂して破片になって四散した世界像を大根のところで統一原理として保持している。存在の充足と過剰、自己を超越する、全力を傾けて指向、おぞましい神の出現の瞬間、戦慄と歓喜の充実が一致、絶望の中で何者かが飛躍した、熱でかわいた陶酔が生まれつつあった、人間存在の最も暗い深淵と同時に生ずる清澄な薄明の領域、自分の送った過去と自分の本能と運命とに対する驚くべき情熱的な自己肯定、猥雑で崇高で下劣と高貴に満ちている。永遠の少年らしさは野獣の獰猛な顔をした天使を思わせる。最低の条件に身を置いて最高の表現に達するというのは不思議なことだ。ある状態に置かれた者の表現の行為とは、状態を超脱することか状態の示唆する本質的なものと一体になることか。行為者であり表現者であること、表現される者であり表現する者であること、裁かれる者であり裁く者であること、死刑囚であり死刑執行人であること。聖性の獲得、聖性とは神との合一、同一個体の中で結合が行われる。意識も殆ど大部分中心核に移動し切ったから、いよいよ16才も軌跡道程も枠に押し寄せ戻って来る・・広げ広がり移動し切ったから一つに合一して成るのももう直だ、その為の軌跡道程だったのだから・・これで完全に殻から枠から解放される。この際枠は捨てる、全体と一つになるのだ。先に成ること一つに合一すること！！唯それだけだ。我が十代の文学少年時代の偶像であり神であった。少年は自分のまま或いは数年後の自分のままの姿で永遠化された存在を神として祭る。字のせいか運動した所為か全身の激しい疲労感・・また筋肉が鍛え上がり引き締まり能力が高まる。超越的絶対的存在、若さと無垢の半神なのである。耳元で煩く喋る声。何事かをたえず主張している声。大言壮語。子供っぽい夢。ばかばかしい自己犠牲。偽物の詩。死も怖れぬ情熱。身を灼くような恋。単純の美徳。本物のスリル。夢想の陶酔。わくわくするクライマックス。心もとろけるような美辞麗句。あらゆる美点があらゆる欠点と緊密に結び付いている。頭蓋骨も鎖骨も殻ごと持って行ってくれ！！身も痺れるような陶酔を味わう。夕暮れの倦怠と憂鬱が舞台を支配する。漂う末期的不安には世界不安の雛形、東洋の神秘と西洋の神秘との混合体、宿命の虜、宿命自体、自分の宿命を欲求する。天才の唯一の発露を見出そうとする世紀末の自己諷刺、星よりも月よりも太陽よりも高く昇るつもりで爆発した狼煙、自分が理想とする状態へ向かって強く決断する。悲哀とは、人生に於ても芸術に於てもその最後の原型、内面の表現となった多面、肉を与えられた霊、精神を持つ肉体本能、人生の秘訣は苦悩である。彼の一生のあらゆる大切な観念が忽ち翼を得て羽蟻の結婚のように夥しく空中で結婚する。生涯中の美しい瞬間の為に救われる。後悔すべき汚く恥ずかしい過去に呪縛されてしまう。
