枠にも全世界中にも充満遍満しさせされる。
俺の枠の中から内から内部から押し上げ広げ拡充拡張拡大し突き抜け破る。俺の枠の中から内から内部から完全復活顕現発現再現体現出現するさせされる。駄目にしてなってしまったのも物理的な簡単単純な原因理由も多い筈だ、それならそのカルシウムのお菓子の食べ過ぎも足腰の負担も頭蓋骨も鎖骨も虫歯も薬も鎖骨も其の他全部の原因理由も今に至っては完全に解決して完全復活出来る筈だ。全部の色々様々な原因理由によって駄目になってしまった自分を引っ張り引き上げ完全復活するのだ。枠を育て上げ抜き奪い持って行き絞り搾り出し取り続ける。枠としても16才を包み込み16才よりも大きく高く強く逞しく美しく進化成長発達発展している。もうとっくに良い年だけれど、それでも16歳からの軌跡道程さえ枠にあれば、また絶対的圧倒的に優れられる。16歳からの軌跡道程も枠になり、それから中心核枠に成るのだ。16歳から生まれ始まり広がる軌跡道程も中心核枠なのである。枠と16歳と中心核と全体とは決して離れぬほど強く深く繋がり結び付いている、だからこの枠も優れられる筈だ。宇宙の壮大な時の流れの中に、人間は生きています。人間はまた、自分自身の存在の中に、その壮大な時の流れを映し込んでもいます。この照応する外なる自然と内なる生活の間の往復運動が、季節の流れの中でリズミカルに結び付くとき、そこには、人間の魂の活力と自己認識の源泉が姿を現します。人間は、自分が宇宙の時の推移の中に生かされており、自分の存在の中に、流転という宇宙の原像が模像となって映し出されている、と感じている。大宇宙が時の流れの中で顕現するものが、人生の周期となって体験されている。感覚的知覚の世界に帰依するとき、自分を光と熱が織りなす夏の自然に相応しい存在であると感じ、自分であることの根拠を求めて、思考と意志の世界の中に生きるとき、自分を冬の存在であると思っている。そのように自然が、時の推移の中で夏となり冬となるとき、その推移は人間の場合、外的生活と内的生活のリズムとなる。知覚体験と思考体験のリズムを相応しい仕方で自然の時のリズムに関係づけるとき、生きることの偉大な秘密が初めて人間に開示される。そしてそのとき、四季の推移が人間の魂の活動の原像になると同時に、真の自己認識の稔りある一つの源泉となる。感じ取ることで自己を認識する。魂の生活の循環を「時間における没時間的なもの」として体験する。一年の周期には固有の生命がある。人間の魂はこの生命を感じ取ることができる。この生命が一週一週異なる内容を語るとき、人間の魂は、それを自分に作用させることができる。その時、人間の魂はこの生命との共体験を通して、自分自身を本当に発見することができる。そして自分が内部から力づけられるのを感じる。私たちは宇宙のいとなみの季節ごとの変化に関わるとき、力が自分の中で目覚めようとしているのに気づき、そして自分が生まれついたこの世と自分との間に存在する、繊細ながら意味深い結びの糸を、初めて認めるようになる。自然の歩みとの力強い一体感、そこから生じる健全なる自己との出会いが意図されている。大自然との交感が自分自身のことを理解したいという魂の深い内的欲求にこたえる。思想の力が果てしない外なる感覚世界の中に自分を見失うとき、霊界が人間の萌芽を再び見つけ出す。人間の萌芽は、己の種を霊界の中に見出し、そして己の魂の実を自らの中に実らせる。自分自身を忘れ、しかも自分の根源を忘れることなく、人間の成長する自我が宇宙の万象に語りかける。個我の呪縛から私を解放するお前の中でこそ私は自らの真実をきわめたい。私は自分であることの本質を感じる。そう語る感情は陽光の明るい世界の中で光の流れと一つになる。そして思考の明るさに熱を贈り人間と世界をかたく一つに結びつけようとする。光は霊の深みから現れ空間の中で実り豊かに働きながら神々の創造行為を明らかにする。その光の中で魂の本質は宇宙存在にまで拡がりつつ、狭い自らの内なる強制を脱して今新たに甦ろうとする。自分の内部から私自身が甦った。そして自らが時間と空間の働きの中で宇宙を開示するものとなった。宇宙がいたるところで自らの姿の真実をその神的原像を私に現している。感覚の力が勢いを増す。神々の創造行為に助けられて、その力が私の思考の力を夢の暗い作業に引き下げる。神的な存在が私の魂に結びつこうとするとき、人間的な思考は夢の中に安んじて身を委ねる。私の我意を忘れさせるほどに夏の訪れを知らせる宇宙の熱が私の霊魂を充たす。霊視が私に、自分を光に委ねよと命じる。予感が力を込めて私に告げる。己を見出すために己を捨てなさい。
