枠よりも中心核！！枠よりも全体！！
常に己が枠よりも中心核で全体であることを意識し固め固まっている。自分が枠よりも中心核で全体であるということを意識しイメージし理解し認識し自覚することで枠も引っ張り上げて貰える。枠を引っ張りあげてやる！！もうこれまでだな・・もう自分の力では全然無理だ、ただ何もかも全部を委ね任せ預け与えるだけだ。神の慈愛に満ちた全能の力が世界に遍満していることを悟った彼が、自ずから堅持するようになる神への絶対的信頼を語り出す。神だけを避難所にすること、信頼・愛・希望をただ神にのみ置きたい。すべてを神の摂理に委せる。試練と苦難に満ちた霊的巡礼を進んでいくうちに、段々とこの事実に目覚めるようになる。神のより大いなる栄光を追求する。溢れるばかり、大いなる力が与えられた。無はすべてである。無一物中無尽蔵、花あり、月あり、楼台あり。神に対する絶対の信頼。その信頼に応えて、主はしばしば彼に顕れる。主は彼に大きな慰めと力を与えてくださった。神に対する絶対の信頼は、多くの困難に遭遇することによってますます生き生きと増大し続けた。もう今日だけだ今だけだ、寝て起きたら、今日今この瞬間にも、そうしてなっておいてくれ、駄目なら、もうこれで勘弁して、今日で勘弁して・・革命はマグマの爆発だった。 枠ごと全体と一つに。枠も全体の中に組み入れ込んでくれ。枠を助けてくれ救ってくれ。枠ごと世界と一つに。多くの霊的示現や多くの慰めの恵みを普通の出来事のように受けた。すべての旅行を通じて大きな超自然の訪れを経験した。神秘体験が普通の出来事のようになった。日常生活でも観想できる、活動の中での観想家となった。自己を日常生活から隔離する。思考と感情の営みは日常の時間における場合とは異なる色合いをもつ。喜び、悲しみ、心配ごと、更には様々の経験、行動をも、人は自分の魂の舞台に登場させる。自分が体験する一切をより客観的な観点から見るように心掛ける。深刻な運命の打撃を受けた。神秘学徒は特定の時間の中だけでも、自分自身を他人であるかのように見做す。批評家の冷静さをもって自分自身を観察する。自分の体験内容が新しい照明の下に現れてくる。内的平静をもって達観するとき、本質的なものが非本質的なものから区別される。苦悩も悦楽も、どんな思考内容もどんな決断も、このような態度で自分に向き合うときには別の現れ方をする。自分である中心核から全体から枠を観る見る。もっと私に能力があれば、思った通りの成果を上げることができたのに。できるだけ上手に対処できるように、私のすべての力をこの仕事のために結集させたい。自分を臆病にしてきた考え方は克服される。神秘学徒の生活態度の中に、人生を充実させ促進させるような考えがあとからあとから、これまでの衰弱と抑圧を齎す考えの代わりに現れてくる。人生の荒波の中を確実に進んでいけるように、彼は人生行路の舵を取り始める。これまでの彼はこの荒波に揺さぶられて、右往左往していたのである。このようにして安らぎと落ち着きとの作用は立ち返って人間存在の核心にまで及ぶ。これによって内なる人間が成長し、それと共に高次の認識へ導くあの内的能力の成長が促される。神秘学徒はこのような方向を歩み進むことによって、外界の印象が彼に与える範囲を次第に自分で規定できるようになる。神秘学徒は自分自身で新しい高次の人間を自分の中に産む。目覚めた高次の人間は内なる支配者となる。必要とする力が大きければ大きい程、達成される事柄の意味も大きい。神秘修行のすべては、あらゆる行為に際して、どれ程の内的真実と絶対的誠実をかけ、どれ程の力を込めて自分自身に向き合うことができるか、しかもその自分自身をまったくの異邦人と見做すことができるか、にかかっている。この枠を外から眺めるんだ、全体としての中心核としての己が枠を引っ張り引き付け寄せ一つにするなるのだ。枠も俺に引っ張り上げてもらう。自分の内部に、個人的な関係の枠を突き抜けた何かが生命を甦らせる。これと共に眼差しは日常生活を律している世界よりも高次の諸世界に向けられる。人間は自分が高次の諸世界の一員であることを感得、体感し始める。自分がこのような世界の一員と感じられるようになったときはじめて、自分の存在の中心点が自分の内部へ移される。彼は内的平静の瞬間に語る内部の声に耳を傾ける。内部で彼は霊界との交わりを育てる。彼は日常性から離れる。日常の騒音は静まり、彼の周囲を沈黙が支配するようになる。内部における静観、純粋霊界との対話が彼の魂のすべてに染み渡る。神秘学徒の場合、このような静観が自然的欲求になる。彼ははじめ一つの思考世界の中に完全に没頭している。彼はこの静かな思考作業に、生き生きとした感情を結び付ける。霊界がこの思考世界に注ぎ込むものを愛することを学ぶ。思考世界は外界よりも現実的である。生命がこの思考世界の中で自己を打ち明けるのを、彼は経験する。内的言語（内なる言葉）が彼に自己を開示する。この瞬間をはじめて体験する神秘学徒はこの上ない浄福を感じる。内なる光が彼を取り巻く外界のすべての上に輝く。第二の人生が始まったのだ。神的な気が浄福の流れとなって彼の中に漲る。霊学は思考内容の中に魂の力を結集させることによって次第に魂が霊的本性の中を生きるようになっていく。この認識の行を、瞑想（静観的思索）と名付けている。瞑想こそが超感覚的認識の手段なのである。
