枠を中心とした全体全面という、見事に完全なる曼陀羅曼荼羅が出来上がった。16才は本当に物凄く素晴らしかったんだ、あの16才のような今である。16歳も軌跡道程も枠にあれば何歳にだって全歳になれる。英語も出来るようになっておく。あらゆる学問の分野も知り理解し尽し出来るようになっておく。一つに合一し完成し出来上がっておく。昔以上16歳以上に完全復活しておく。枠ごと一つの全体に、そのもの全体全面から俺から中心核枠に、矯正しておく。そうしてなってさせてされておく。あの追浜古本屋店員が神奈川新聞の勧誘なんてやらされてたかも・・あれだけは何が何でも何としても救って抱いてやらにゃ・・あの中古の自転車を守っていれば、あれを抱けていたかも・・これから抱く。伝統的信仰の本質的諸要素を確乎たる基礎の上に据えるような合理的な研究および証明の方法を開発すること、一方で伝統を純化しつつ、他方で伝統の道徳的社会的価値をそのまま保存するような、純化によって価値の力と権威とを増すような、そういう思考および知識の方法を開発すること、要するに、存在と宇宙との形而上学そのものを基礎として、今まで慣習に依拠していたものを再建する。「哲学はヴィジョンである」哲学の主な機能は、人間精神を偏見や先入観から解放し、周囲の世界に対する見方を拡げるにある、と敢えて主張する少数の異端者の意見もあった。欲望や想像によって規定され、共同体の権威の影響によって権威ある伝統に発展した信仰内容は、浸透的で包括的であった。集団生活の隅々まで遍在していた。反省的志向は、伝統が社会的な意味で包括的且つ遠大であったのに対して、形而上学的な意味で包括的且つ遠大であろうとした。宗教的超自然的な世界、形而上学的に表現すれば最高究極の実在の世界、共同体生活における一切の重要な真理および行為規則の究極的な源泉や承認が超越的で明白な宗教的信仰のうちに見出される以上、哲学上の絶対最高の実在こそ、経験的事柄に関する真理の唯一確実な保証を与えることが出来、また、正しい社会的制度および個人の行動の唯一の合理的な指導を与えることが出来る。哲学自体の体系的な訓練を経てのみ理解される絶対的叡智的な実在の反対側にあるのが、日常的経験という、通常の経験的な相対的にのみ実在的な現象的世界であった。哲学は、超越的で絶対的で内的な実在の存在を証明し、同時に、この究極的で高遠な実在の本性や特徴を人間に示すという役割を我がものにした。合一は早い、夢はその前兆、16才に引っ張られ吸い込まれ軌跡道程ごと中心核枠という一つになる。本来の自分との統合一致、中心核と枠との統合一致、肉体の枠はまだ全体にとって中心核にとって必要とされている？枠に実入りだ。漸く本当本来の自分になった、中心核に嵌り填り込んだ。今、自分は、枠から、枠よりも、16歳に中心核に全体になっている。全体が己の身体である。全体を己の体だと意識しろ。全体が己の身体であり、枠にも世界にも16歳から満開の大輪の花が咲く。全体全面まで広げ広がり埋め尽くし、全は一、一は全、の意識のもと信念のもと、枠はその中に居て動き回るだけだ。最早意識も完全にこの枠を飛び出し越え超えている。身の丈六尺を越える大男になりたい。枠は蕾のまま摘み取られてしまった、しかし向こうで花が咲く。向こうと行く先と相手と統合一致、一つにするなる。今幾つもの映画を自己体験しているような、現実以上の感動とロマンを与えてくれる素晴らしい夢を見てしまった。史上最高の夢だった。明確なビジョンを持ち、目標を設定する。目標に向かうための行動計画を作る。行動計画を発展・展開させ、優先順位をつけ、どのように達成するかを社内の隅々に浸透させる。16才では神秘体験し捲りだったけど、今日の夢も一種の神秘体験だ。大体毎日常人の想像を絶する世界に生きて居る。夢は自分の中の世界、まだ自分の中にこれほど素晴らしい世界があったとは・・哲学と宗教とは一般的には、両者の種差を除けば、同一であることは自明である。思惟する存在者と信仰する存在者とは一つの同じ存在者であるために、宗教の心象また同時に思想と事象とを表現するということは自明である。奇跡を信じる者にとっては、全く自然的な或る物であり、彼にとって同様に甚だ自然的な表象であるところの神の全能から自ずと生じて来る帰結だからである。愛は完全なものと不完全なもの、罪なき存在者と罪深き存在者、一般的なものと個別的なもの、掟と心情、神的なものと人間的なものの間の、ひもであり媒介原理である。愛は人間を神にし、神を人間にする。愛は物質を観念化し、精神を物質化する。愛は神と人間との真の統一であり、精神と自然との真の統一である。信仰や告白や狂気が分離するものを愛は結合する。
