無限の金で持ち株を買い上げて全面ストップ高！！持ち株全部ストップ高！！ストップ高以上！！俺が枠を引っ張り引き上げてやる。16才が中心核が枠を引っ張り引き出してやる。そのもの全体全面が枠を引っ張り引き伸ばし延ばしてやる。枠と中心核の組み合わせが、互いの相乗効果をもたらすと同時に、相互補完的な役割も担う。青春の胸の高鳴りを甦らせた。彼女さえ恋人さえ居れば全部の問題が解決する可能性だってある。枠の生まれてから16才から今まで枠である。また16才のように若くなれる。図書館の全知識全内容も枠の中にある。俺にも枠にも不完全な不足している部分が沢山一杯あり更に進化成長発達発展し続けているから不安定なんだ、全部埋め埋まって究極完全完璧なる理想的完成形となる、俺にとっては全体全面、枠にとっては中心核だ。16才の２月、あのカルシウムのお菓子を食べ過ぎて頭蓋骨を締め付けた夜から地獄の日々だ。16才超凝集圧縮しさせされた一点から枠は中心核に俺は全体全面になる為の運命だったのだ。16才で上がり高まり高騰暴騰し頂点に達しようとしたところで弾け飛んで爆発して一気に墜落堕落した、大輪の花開かんとするまさにその時に蕾の侭刈り取られてしまった、それでも16歳から中心核から全体に成る為の運命だったのだ。お前は世界史上最も優れた人間でもあるのだ。女と一つになって快楽の絶頂に達し昇天したい。全世界中に唯一人！！でも本音では誰よりも愛に飢えている。16才と同一体化することで16才の力を我がものと出来る。今日中に枠ごと全体に一つである。俺を枠を動かしている力と一つに、広げ広がり抜かれ奪われ持ってかれ引っ張られ引き付け寄せられ移動する行く先と相手と一つになる。より強い者が更に強くなり、より大きい者が更に大きくなる。誠を尽くし、一生懸命行った事柄は神に通じる。神に通じる行いは、人にも通じる。ねー、あの雪の日に大声出して飛び出して行った日が三月十日だっけ？病院に連れてかれたのが何月だっけ？六浦に移り住んだのが５月だっけ？僅か数ヶ月、１９９５年、１６才の数ヶ月、人生の他の全部の時期の変化より遙かに大きく激しい。人生の能力の９９％は16才だけに集中されているのだ。今が１６歳だっけ？形而上学的な運動は超越的である。二つの項は互いに補完しあい、外部から見られることが可能な一つの体系を形作る。主張される超越は、かくして体系の統一のうちで融解してしまう。〈私〉であるとは、座標系に基づいて定めることの出来る一切の個体化を超えて、同一性を内容として所有しているということである。それが存在することが自らを同一化することであり、自分に起こる全ての事柄を横断して自らの同一性を再発見することであるような存在が〈私〉である。〈私〉とはだから特別な同一性であり、同一化の本源的な働きなのである。《私》はその変容の果てまでも同一的なものである。《私》は様々な変容を表象し、それを思考する。異質的なものが包含されうるような普遍的同一性は、一箇の主体の骨組み、第一人称の骨格を有している。普遍的な思考とは「私は考える」なのである。《私》はまた別の意味でも、その変容の果てまでも同一的なものである。思考された対象の他性において自らを同一化する、〈同〉の普遍的な在り方である。私は私自身から私を区別する。両者は自己意識の或る様態なのであって、私と自己との引き裂き難い同一性に共に由来している。自分を他なるものとみなす〈私〉の他性が、詩人の想像力を刺激する。自己による〈私〉の否定は、〈私〉による自己同一化の一様態なのである。世界に滞在すること、つまり我が家として世界内に存在しながら自らを同一化する。世界による私の変容を再び旋回させる。自分にとって外的な大地の上で自らを支え、何かを成し得る身体として世界に住まう。私は実在に依存しながら、その依存のゆえに自由である。一切はある意味でこの場所に存在しており、すべては最終的には私の手が届くところにある。星辰さえも私の手に届くものとなる。場所が媒体として手段を提供する。すべてが此処にあり、一切は私に属している。すべては場所を本源的に掌握することで、予め掴まれている。一切は包摂〔理解〕されているのだ。世界の中で私は我が家に存在している。世界という他性が、自己による同一化へとこのように再び旋回して行く。枠から発し発せられる。今日中に一つに合一しておく。何もかも全部繋がり結び付いている、枠ごと一つに纏め纏まり全体という一になる。精神は我々に対しては自然を前提としてもっている。そしてこのことによって自然の絶対的優先者である。精神は自覚（対自存在）へ到達した理念、すなわちそれの客観が主観と同じく概念であることがわかった。精神は同時に専ら自然からの復帰としてこの同一態である。精神とは自己を知る現実的理念である。精神哲学は自分の方で精神の概念を発展と実現とを通して確証すべきである。
