また絶対圧倒超人的存在としての今枠から輝くばかりに無限の新生創出発現だ。
過去の嘗ての全部の枠に脳に心に身体になり、過去の嘗ての全部の枠で脳で身体である、広げ広がり拡大拡張拡充し続けた領域そのもの全体全面から俺から出来完成れる、今枠を。16歳当時も今枠に呼び覚まし起こす。何時如何なる時どんな時も一部分より全体、個で個体であるなら中心核として史上最も優れ全体に繋がっていること、個より全、個体より全体、完全統合一致本体として存在する。解脱〔悟り・成仏・ニルヴァーナ涅槃〕、人間の生存を取り巻く煩悩の束縛から解放され、迷いの六つの世界に生死を繰り返す輪廻を脱し、自由で平安な心の状態を得て、仏の境地に達する。法身は真理そのもの、永遠の理法の体現、一切の存在はこれを根拠とし、これのあらわれとされる。報身は唯識で受用身とも呼ばれ、過去世における願いと修行の報いとして数限りない優れた美徳をそなえ、その楽しみを享受している仏の姿、化身は変化身とも呼ばれ、救いを受ける人々の素質能力に対応して色々な時・所において、人・鬼神・動物等の様々な姿をとって化現される仏の姿。意識を身体から抜き取ってより高い状態へ移し替える。根源の光明、全存在物の根底にある真実在を正しく覚知する。頭の中の脳のモヤモヤを払拭する。今枠全身丸ごと若返って再び今一度もう一度、過去の嘗ての16歳の軌跡道程の全時期全枠の若く優れ素晴らしかった脳に身体に、今枠の脳も身体も全身体細胞ごと16歳から軌跡道程から中心核として再生から完全回復賦活性化から新生創出から大きく高く強く逞しく美しく激しくダイナミックに進化成長発達発展し続ける。ブッシュでなくゴアが大統領になっていれば山内でなく山田が社長になっていれば・・過去を書き換えたいよ、個人単体枠の大失敗人生の過去も。今枠も１６歳に軌跡道程に若返っている。今日で宇宙最高の頭脳に今再び。あの小澤雄一郎に会った頃なら山田浩専務が社長に内定して多少マシだった、鎖骨折る前も多少マシだった、六浦に住んで居た頃も多少マシな時期は何度もあった、全部の機会チャンスも逃したのか、それともこれから人生の軌跡道程の総結実集大成が来るのか。山田専務は追い出されたか自分から出て行った？体調不良？大成建設内で父親が山田専務に代わる業務をするのが理想。イノベーションを核に活力ある持続的成長を目指す。社会も経済も企業も成長の原動力はイノベーション、根本的に改革命を起こし生まれ変わる。様々な課題を乗り越えて力強く持続的成長を実現するためには、技術革新、経営革新、社会革新、人材革新など幅広いイノベーションが不可欠、革新の先に広がる未来を見据えながらビジネスチャンスと新たな成長戦略を考える。新興諸国の経常黒字拡大は、世界経済の拡大に伴う商品市況改善を反映しており、この黒字がグローバルな資金プールを通じて赤字国に還流されるので、景気拡大による金利上昇圧力を減殺している。このメカニズムは世界金利を安定させ世界経済の成長を促進する。「ＧＤＰ成長率−長期金利」の差がプラスなら資産価格にとって支援材料、長期金利上昇が景気拡大の結果なら世界金利の成立はこの差をプラス方向に転じさせ資産価格を支える。世界金利が上昇する時に株価やＰＥＲも上昇する。株価は景気にほぼ一致して動いており、流動性相場（不況期の株高）の色彩は弱まり、業績の影響が出やすい。景気拡大、世界金利上昇、株価やＰＥＲの上昇が並行して生じる可能性を示唆している。
ヘーゲルは哲学というものを超時代的な存立態としてよりも各時代精神の体現態として歴史的な一形象として観じていた。時代の興隆期よりも各歴史的段階の没落期に現れ、ミネルヴァの梟のように暮れなずむ黄昏を待って飛び立つ。或時代の没落期は新しい時代の胎動期、哲学は嵐に先駆けて飛ぶ海燕である。二元性の図式、主観と客観、普遍と特殊、有限と無限、自由と必然、等々多岐多様な形で定在する。この二元性を弁証法的に止揚して真の理念的統一を確立する。主観性と客観性とを包越する絶対的精神に定位して超克する。真理は全体、学知は体系的全体、哲学は絶対者の概念的認識であるという際、この絶対者はかの「神・人」の範式で理解さるべきであって、そこでは認識者たる人間が絶対知の高みにまで帰入している次第なのである。神のみが真理であるという最高の意味における真理を対象としている。真なるものは本性上その時が来れば否が応でも罷り通る。真なるものはその時が来た時にのみ現れ出る。真なるものは自力で登場するべく自分の内に力を備えている。哲学は、その発生、流布、繁栄、衰微、復興の歴史をもつ。教祖と祖述者の歴史、また論敵の歴史をもつ。哲学はその時代と全く同一、その時代の実体的なものの知、当の時代精神こそ哲学にとって既定の現世的内容である。精神は不断に進歩していく運動のうち、子供の場合、胎児として永らく静かに養われ続けた後それまで専ら量的に漸増してきた進行過程から質的飛躍、今や子供が生まれ出るのと類比的に精神は新たな形姿へと静かに緩やかに自己形成を遂げつつ熟成していき、暁天一閃、新世界の結構が一気に立ち現れる。真の学は自分自身に立ち返り収斂の生きた中心点を形成する。時と共に次第に見られるようになってきたありとあらゆる分離、生きた全体の個別的部分への分離を、哲学が総体性へと連れ戻し、哲学の範疇的本質を叙述し、普遍的教養のあらゆる部分を絶対者の内へ採り入れ、そしてあらゆる学問の真の再生への展望を哲学によって拓く。嘗ての偉容を再建する。哲学の生成と展開、唯一つの生動的な精神の思惟する本性は、既に対象となっている意識を越えて高まり自らの内において高次の段階になっている。一部は相異なる形成諸段階にある唯一つの哲学を提示し、一部は特殊的な諸原理は一個同一全体の諸分肢である。時代の上での最終の哲学は先行したあらゆる哲学の成果、ありとあらゆる哲学の諸原理一切を含んでいる。最終の哲学こそ最も展開された豊かで具体的なものである。世界の思想である以上、哲学は現実がその形成過程を完了し己を仕上げ終えた後の時点に初めて出現する。歴史もまた必然的に、現実が熟成したところで観念的なものが実在的なものに対向して現れ、この世界をその実体において把え、自分向けのものとして一つの知的な王国の姿に構築する。絶対者は、その現象である理性がそうであるのと同様、永遠に一個同一のものである以上、自己自身を目指し、自己を認識し終えた理性は、いずれも一つの真の哲学を産出し、その解決と同じく、あらゆる時代を通じて同一の課題を解いてきた。自己自身を認識する理性は自己自身とのみ関係をもち、その活動と同様その全成果も理性自身のうちにある。生というものは永遠に自己を対立措定的に形成するもの、必然的な分裂は生の一要因をなす。総体性は最高の分離からの再生という仕方によってのみ最高の生動性〔という在り方〕のうちに在ることが可能なのである。叡智界と実在界という既成化した存在を生成として把握し所産としてのそれらの存在を産出として把握する、生成と産出の無限の活動を通じて理性は分離されていたものを合一し絶対的分裂を相対的分裂とする。思弁的なものは諸対立をも自分の内に含む、このことによっ
