絶対者＝自己は合一体験において充実した実在感をもって捉えられ、その体験を持った者にとって、日常的な自己とそれが経験する世界とは、虚妄の幻影にすぎない苦に満ちたものとなる。自己の内面に沈潜する者は、次第により内部にある自己を自覚し、自己の本源へと還って行く。後には禅定や三昧の段階的な深まりが明示される。自覚の漸進的な深まり、アートマンが次第に内面化される。内面への道は、究極的には自己からの離脱の道である。絶対者が自己の根底に顕れて絶対者との神秘的合一が体験される。真の自己、偉大な不生のアートマンが顕れる。自己を脱却して絶対者と合一した境地は、しばしば性愛における忘我の境地によって喩えられる。神格として表象される自然界の諸要素と、人間の諸機能との間には対応関係がある。諸機能の集まりである人間は、諸神格によって構成される大宇宙に対する小宇宙と考えられている。太初に神々が巨大な原人を供物として祭祀を行ったとき、解体された彼の身体の各部分から世界の構成要素が生じた。神格が願望を叶えてくれるように期待する、神格に近づいて自分の意図に従うようにせがみ強要する。対象をある名称のもとに思念する。対象に対する支配力を得るために、それが自分の意のままになる他のものと同置する。念想の内容となる。あたかも蜘蛛が〔自ら分泌する〕糸によって上に昇って行くように、あたかも火から火花が飛散するように、このアートマンから、すべての機能、すべての世界、すべての神、すべての存在物が諸方に出て行くのである。罪が除かれ老いず死を離れ憂いなく飢えなく渇きなく、その欲望は実現され、その意図は実現される。一つのものの様々な様相が、種を同じくする一連のものと同置されることもある。
