どうしてもこの、和田と大浦とやり捲っている羨ましい光景と、ケンタッキー・フライドチキン女子店員他に変な内容を書いた紙を見られ超大幻滅されたのがイメージされ眼前に浮んで来る・・字に意識が行くとすれば当時実地状況は分かれる。後悔すべき汚く恥ずかしい過去は書き換えてくれ。意識が急激に喪われていくときの甘美な体験だけは今でも鮮かに覚えている。眼前一杯に明るい五色のイメージが奔流のように溢れ、体は全ての重量を失って浮揚した。自分の肉体が一つの考察対象になりうるということを会得した。考察は試行錯誤の連続であった。美しい珠は不気味な沈黙を守って何時でも其処にある。時に閃光を発して生々しく屈曲する傷痕（肉）を見せたり、透明な無限（霊）を垣間見せたりする。精神と身体、心と精神を極度に偏愛した時代、身体の豊かで広々した地平が拓かれ始めた。意識もしくは情緒は対象を変形する目的のために自分を変形する。人間は現実の閉塞状態に追い込まれたとき、情緒の発動に導かれて自己と現実世界とを変貌させる。この場合、自己と事物との関係は決定的な過程や因果によってよりは魔術によって規制されている。我々の喜怒哀楽の生活は、自己の実存的生命体を無限に変換させていく動因であり、同時に眼前に繰り拡げられる世界を様々にデフォルメしていく羅針盤である。エモーションの深淵に降って行くに連れて、自己と世界との諸関係を律するデモーニッシュな異次元の世界に目を開かれていく。生きるとは本質的に魔術を生きることである。仏教では二十八部衆といって、精霊や鬼や悪霊および虫や鳥などを神義論的に擬人化した一群の諸が知られている。彼等は千手観音の眷族従者といわれ、仏法を守護する半獣半神であるが、つまりは精霊崇拝を背景にもつところの仏教的デモロジーの代表選手たちである。一般に二十八部衆は八部衆に要約され、密教図像学は彼等の彫刻的な姿態を克明に描き出し、デモーニッシュな尊像の一類へと再創造した。天は無限空間に浮遊する魑魅魍魎を象徴する。神話や伝承の世界においては、多くの謎に包まれている宇宙の仕組や現実世界の構成は、これらの危険な存在を予想して初めて解くことの出来るからくりになっている。想像上の魑魅魍魎は危険な悪霊から安定した守護霊への転換を強いられ、悪霊と守護霊が常に互換関係にある二元世界こそは、人間世界における意識と無意識、狂気と正気、異常と正常の互換関係に最も適合的に対応する世界なのである。それは一面で恐怖と法悦とのアンビバレンツな関係を示す局面、同時に原型と変型という二項によって示される可逆的な変身の心霊現象ということができる。変型によって原型を、その逆の関係を意識できる心性こそは、恐らく文化というものの最良の部分に根差した機制の一つなのである。文武両道に優れ、体も大きく逞しく、詩の才能もあり、大らかな人柄も好かれて・・結局今年も一人独りきり・・誰とも関係を築くどころか第一歩を踏み出す事さえ無理・・あーあ。
