また十六歳に行き届き着き軌跡道程ごと今中心核枠に若返りながら一つに合一していく。「私が無茶苦茶に考えたこと」と西田自身が言う哲学論文が難解であるだけに、簡潔平明で香り高く滋味深い随筆は印象的である。思索の難路を歩みながら「私の最後の立場に達したような心持が致します」と自ら言いうるほどに飛躍的に展開していった。西田の元で多くの弟子たちがそれぞれ独自の思想を育みながら育ち一つの思想山脈が形成されてゆく。東洋と西洋が一層深い根底を見出すことによって新しい世界文化が創造されることを切願した。平凡な日常の生活が何であるかを最も深く掴むことに依って最も深い哲学が生まれる、と西田は言う。深みへの通路は生活世界・歴史的世界に罅を入れる人生の悲哀、哲学の動機は深い人生の悲哀、深く掴む場合の問題の徹底究明が論文となり悲哀のなかで生き得ている生の単純さに複雑が収められて深さが深さのままで透明になり、しかも悲哀によって情意を滲ませる日常の生の発露が随筆類の文章になると言える。西田幾太郎その人の発露である文章は機縁に応じて主題も実に様々であるが書かれた年代も約半世紀に亘っている。随筆類は持続的な思索の緊張の一方で緊張の故に単純化した生の単純性が開きだした余白空間の趣の中で書かれたものである。論文とは質を変えた同じ西田の全自己が表れている。苦悩と不安の緊張した持続とその中で生き得ている生の根源生不可思議性が歌として自らを表現しつつ、それによって西田が自覚的に生き得た。既に生涯の終焉が予感されていた。人間が生きることの人生、歴史的社会的生、境涯が相互に浸透し合いながら結晶して完結のフィナーレをなしてゆく日々がその全幅のままに日記に映された。そのような日々を貫く主軸が思索者としての論文執筆である。青年から老年へ、明治・大正・昭和を通して、あたかも川の流れのように速さや水の色や川幅や深さを変えながら、そしてその都度の岸辺とある時は静かにある時は激しくかかわりながら一筋の流れとして流れてゆき流れつつ次第に大河の流れになってやがて海と一つに、一人の人間がこの世で生き通した一生がここにこのようにある。その人生において歴史的社会的生において境涯において人間の一生とはまさにかくの如きか、ここに人間ありと思われる。君は性来強烈なる自然の人、しかも一面明敏の智と真摯の情に富む。明敏故に物を照し己照す。真摯故に徹底の上徹底を求めて深酷の上に深酷の上に更に深酷を加う。霊肉常に君の胸裡に相戦い大に燃えん欲し、渦巻く所時に霊光の閃くを見る。理は深き上に深きを求め、情は真なる上に真なることを欲す。心身の力を尽して学に当るの概あり。ヘーゲルの哲学を喜び思をプラトンに潜め情をアウグスチヌスに養い遠く古哲の精神に接して大成を他日に期するものの如し。青年は即ち君なりき。君の記憶は深く我心の歴史の中に織込まれて、君の記憶は長く我魂の竪琴に一つのメロディーを奏ずるなるべし。君は学者として立つに十分なる思索の深さと鋭さを有し、君の哲学の根底、君の心の底には或物があった。ソフォクレスの戯曲の中に見るような暗い運命が君の心の奥を支配していた。君はかくの如き暗い力に動かされると共に一面に明かな透徹した頭をもっていた。かくの如き人が深き心の苦悩に陥るのは自然の成行である。唯君が相当に書物も読み見識もあり天性俊敏にしてずば抜けた学生であった。
