キリスト論において一なる本質としての超越神が父・子・聖霊の三つの作用に分岐するのはペルソナ（仮面・位格）という概念を通してであったが、仏教の三神論においてペルソナにあたるものは、大乗仏教の救済論において重要な鍵とされている方便という概念ではないか、宇宙の本質に迫るためには現象世界がそれ自体常に無常であり空であるというところから出発する。現象世界を空＝ゼロであるとすることは、実は現象世界が縁起の関係性として成立していることを示す方法なのであって、現象世界をして現象世界たらしめているところの「縁起の法＝不可視のロゴス」を象徴的に示している。ゼロ記号としての「空」は、世界の背面に潜む宇宙の本質を暗示するシンボルなのである。仏教における三身論では、真如なる原型に対して、法・報・応の三身は作用因としての変化身を表していた、原型―変型を媒介するもの、すなわちキリスト論におけるペルソナにあたるものが方便という概念であったといえる。人間界や動植物界の現象的な多様性の問題を処理するのに「原型」を持ち出すゲーテのごとき立場は歴史的因果関係の追求を前提にしている。これに対して現実界の多様性もしくは変化の位相といったものを、もう一つ別の次元の多様性もしくは変化の位相と対応させて処理するという方法が可能である。前者が現実の多様性を始原＝原型へと還元する方法をとるものだとすれば、後者は一系列の多様性を他系列の多様性へと還元する方法をとるのであり、その両者の相違は、歴史分析の方法と構造分析の方法との対照性としてあらわれる。レヴィ・ストロースが思い起される。
