俺に枠に16歳も軌跡道程も今同時に居る有る存在する。
枠ごと時間軸に一体になれば軌跡道程も全宇宙の歴史ごと枠に一体になれる。思いつくまま書いていくと空白の所が出来る。抜け落ちている分野が明確になり白い所を埋めていきたいという思いに駆られる。脳の能力を無制限に自由に解放する。あの１６歳で読書勉強と心身の鍛錬に励み瞑想に耽り無限の力の高まりを感じた一年未満に比べ、泣き叫んで向精神薬無理矢理飲まされてからは内的世界に耽溺埋没し美しかった期間も多かったけれど一気の転落失敗人生だったなー・・あの頃から１２年、今月で終わらせ終わらなきゃ。「時間は心の傷をトラウマを深く抉る」信じがたいほど繊細で羽根が触れても激しく傷付く裸のガラスの心が痛い痛いと悲鳴を上げる、胸をかきむしる。科学的心理学に近づく唯一の方法はムネメ有機的記憶生物学によってである。ムネメは、あらゆる有機的事象の変易性における保持の原理と定義される。記憶と遺伝は同じ有機的機能の両側面である。生物に働く刺激はエングラム印象すなわち一定の生理的痕跡を残す。すべての生物の未来の反応はエングラムの連鎖、結合したエングラム・コンプレックスに依存している。もし我々が記憶を生物の一般的機能と考えるとしても、それは生物が以前の経験の痕跡を保存していること、以前の刺戟作用の潜在的残跡、残跡全体の合計、記憶は再認と同一視の過程、極めて複雑な観念的過程を含んでいる。以前の印象は反復され秩序づけ位置付けられ時間の流れの内における異なった点に関係づけられる。一般的図式として個々の事件をすべて包含する系列的順序として、時間を知ることは我々が空間と呼ぶ図式に対応する系列的順序の概念を必然的に含んでいる。回想は過去の事件の反復帰模写より過去の更生、創造的および構成的過程を含む。過程の経験の個々の素材を再集し組織し統合し思考の焦点に集合せしめる。このような種類の想起こそ記憶に人間独特の型を与える。『物質と記憶』中に述べられているベルグソンの見解によると記憶は深刻で複雑な現象である。それは内面化及び強化を意味する。それは過去の生活のあらゆる要素の相互滲透を意味する。ベルグソンの業績において新しい形而上学的出発点、これが彼の生の哲学の土台となったものなのである。我々の目的は人間文化の現象学にある。人間の文化生活から選んだ具体的な例によって論点を判然とさせ明確にすることを試みる。クラシックな例はゲーテの生涯と業績である。シンボル的記憶は、人間が過去の記憶を反復する過程、この経験を再建する過程である。想像は真の回想の必要な要素となる。この理由によってゲーテは彼の自叙伝を「詩と真実」と題した。彼は彼の生涯に関する真実を発見し記述することを欲した。この真実は、孤立し散在している彼の生涯の多くの事実に詩的すなわちシンボル的形態を与えることによってのみ見出し得た。イプセンは詩人たることは自己自身に対して裁判官として臨むことを意味すると断言した。詩は人間が自己自身と自己の生涯に裁決を与えうる形態の一つである。それは自己認識であり自己批判である。詩人の個人的性格の新しく意味深い了解解釈のし直しを意味する。それは芸術的表現のあらゆる他の方法にも可能である。レンブラントの自画像に、彼の生涯、人格、彼の芸術家としての発展についての物語全体を、その像の中に見出す。自叙伝が何であるか何を意味するかを示す最初の偉大な例はアウグスチヌスの『告白』であった。ここに我々は全く異なった型の自己検討を見出す。アウグスチヌスによって語られた戯曲は人類の宗教的戯曲である。彼自身の改宗は一般的宗教過程、人間の堕落および贖罪の反復であり反省たる。アウグスチヌスの著書の中のいかなる文章も歴史的意味を持ち隠されたシンボル的意味を持っている。アウグスチヌスはキリスト教信仰のシンボル的な言語により彼自身の生涯を了解する。彼は偉大な宗教的思想家であると共に新心理学の創始者、すなわち新しい内観および自己探求の方法の創設者となった。観念が過去の何事かを指し示す記憶だけに現れ未来に向けられた期待、発達の一般法則に遭遇する。意識は未来への関連を過去への関連よりも速やかに把握する。我々は回想に生きるより現在の経験に生きるよりも遥かに多く、疑惑と恐れ、未来についての不安と希望の内に生活している。ある意味では、この傾向は全有機的生命の範囲内に属する限り存在するように思われる。本能的行為は未来に向けられた衝動、甚だ遠い未来に向けられている。明らかに終局的目標を目指して企てられた準備予備的な仕事が長く続きながらも目標から離れている場合、未来についての感じの徴候はある。未来はイメージ、理想となる。この変遷の意義は人間の文化生活のあらゆる側面に現れている。人間の思い浮かべる未来は遥かに広い領域に拡がっているし計画は遥かに意識的であり注意深い。用心という言葉は語源的に先見と関連している。それは未来の事件を予見し必要に備える能力を意味している。未来についての理論的観念、あらゆる人間の高級な文化活動の前提条件である観念、それは単なる期待を遥かに越えたもの、人間生活の命令となっている。この命令は人間の直接の実際的必要を遥かに超越している。最高の形においては彼の経験的生活の限度を越している。人間のシンボル的未来、人間のシンボル的過去に対応し完全な類似を示す。我々はそれを預言者的未来と呼ぶ。偉大な宗教的預言者の生涯において最もよく表現されている。彼らの未来は道徳的および宗教的使命であった。予見は預言に変形した。預言は約束を意味する。彼らの理想的未来は、経験的世界の否定、あらゆる時代の終末を意味している。それは同時に新しき天と地の希望と保証を含んでいる。ここにもまた人間のシンボル的な力が彼の有限存在のあらゆる限界を敢えて越えて行く。否定は新しく偉大な綜合の行為を含んでいる。それは人間の道徳的または宗教的生活における決定的な時期を画する。人間だけが現実と可能の差異を認識する。超人的知性すなわち神の心においては現実性と可能性が一つである。神はアクトゥス・プールス純粋な精神の働きである。彼が考えるものは、すべて現実である。神の知性は原型知性または根源的直観である。彼は考えるという行為それ自身によって事物を創造する。可能性の問題が生ずるのは人間だけ、人間の派生的知性においてのみである。現実性と可能性の差異は認識論的である。
