地上最強の生物、鬼、歩く核弾頭、己こそ最強！己こそ最大！
地上最強の自我！！全世界で一番の信じ難いほどの自己中心さ！！世界最強の自己中心者、最強を自負する、最強の自我の強固さを持っている。彼の地で自我は最高の満足を得、格闘術は最大に開花した。彼の強さを支える物の一つ〈自我〉！！絶大なる自信が数々の伝説と異常な行動を引き起こす！！骨髄で脳心身体ごと完全復活再生させ再び超人になれる、女子供で更なる高みへ昇れる、宇宙への全字で宇宙へ飛んで居る。脳心身体に一気に無限に大量の情報を知識を意志を思念を植え付け打ち込むんだ。完全独立自存、16歳から軌跡道程から中心核からそのもの全体全面まで俺として自己完結している。あれだけ論理的で高い思考力も広範な知識も持ちながら何故あの人がこの問題だけに関わるのか？人生全体根本に根差した計り知れない理由が有るからね。もっともっと大きく高く強く逞しく美しく深く綺麗に透徹し沁み滲み染み込み渡り通り徹り浸透し広げ広がり拡大拡張拡充し埋め尽くすんだ。
ますます知恵が進み背が高くなり神と人とに愛された。有り余る時間と輝くばかりの若さで読書勉強と心身の鍛錬に励み無限の内的神秘世界に耽溺した宇宙最高の16才の今枠、軌跡道程の多少マシだった全時期全点の今枠、肉体の強化練成、意識の拡大化、そして自己自分自身そのもの全体全面まで俺から史上最も優れた存在として自身の人生であり全ての失敗たられば後悔やり直し全時空間ごと呑み包み取り込み入れ完成している。骨髄移植から再生医療さえ出来れば宇宙最高の頭脳の復活や骨延長から背を高くする事も、純粋に生物学的意味での再生復活増強のみならず己の神秘学的意味で更に嘗て以上に素晴らしい状態になることも、更に「体外に生物学的意味での自身が居る、自身の細胞が生きて居る」により現実世界での願望を更に叶えられる可能性さえ、現実具体的行動は「己のすべて」に繋がる、何が何でも何としても何もかも完全部分やれ！！今一度16歳に若返って人生失敗たられば後悔やり直し、再び宇宙最高頭脳と美貌長身雄偉な体格と若さと力と希望と可能性に満ち溢れていた俺に、中心核としての存在なら全ての願望も叶え実現する、そのもの全体全面まで俺から現実世界への具体化だ。女子供が欲しかった、骨髄移植から再生医療やりたかった、宇宙への全ての字も、これから今すぐ全部やれ！！幾度かの死線を越えて来た、16歳から軌跡道程から中心核としての存在が。
哲学の素材は経験的な個別科学のそれと全く同一である。宇宙の構造と秩序とか、人体の構造と機能とか、財産、法律、国家とか、様々な概念及び材料は全て特殊な専門科学に属すると同じくまた哲学にも属している。与えられた経験の世界、現実は哲学の内容でもある。したがって哲学を経験的諸科学から区別するものは、素材より、形式、方法、認識の仕方である。個別的な経験科学はその素材を経験から直接に取り上げる。眼前に見出し見たままに取り上げる。これに対して哲学は与えられたものをその最後の諸根拠にまで追求し、あらゆる個別的なものを究極原理に関係させ、知識の総体のうちにおける制約された一分肢として考察する。まさにこのようにすることによって哲学は、個別的なもの、経験のうちに与えられたものから、直接性、個別性、及び偶然性という性格を除去し、経験的な個別性の大半から普遍的なものを、無数の秩序のない偶然事から必然的なもの、一般的な法則を取り出す。要するに哲学は、経験的なものの総体を思想的に組織された体系という形で考察する。哲学は経験的なものの思考された総体、経験的諸科学と交互作用をなし、哲学は一方には経験的諸科学を制約すると共に他方ではまた哲学自身がそれによって制約される。哲学は様々な相継いで現れる時代哲学という形でのみ存在する。経験諸科学の進歩や一般的な社会的及び国家的文化の進歩と手を携えて歴史の経過の内に現れ、この世界学の発展及び完成の様々の段階を示す。哲学史が述べなければならないのは、これら様々の時代哲学の内容、順序及び内的連関である。人類の全歴史的生活が、公算の見地からだけ見ても、精神的及び知的進歩という理念によって結合されており発展段階の連続的な系列を示しているように、歴史の内に現れた個々の哲学体系は、あらゆる哲学はその時代の生活全体の哲学的表現、一つの有機的な運動、合理的な内的に組織された体系、一系列の発展を表現している。そしてこの発展は、自分の存在を次第に意識的存在、知識へ高めようとする、即ち精神的及び自然的な宇宙を次第に自分の存在、自分の現実、自分自身の鏡として認識しようとする、精神の衝動に根ざしている。歴史の歩みは必ずしも直線ではなく外見上しばしば後退もする。特に哲学は豊かな広い田野を捨てて狭い土地に移住することも、それだけ一層根本的にこの土地を利用するためではあるが。何千年ものあいだ誤った試みがなされて単に消極的な結果が明らかにされたに過ぎないこともあれば、僅か一世代の間に夥しい哲学的理念がひしめき合うこともある。歴史は自由の国であるから諸時代の終りにおいて初めて自分が理性の作品であることを完全に示すであろう。


自己の内に一切の他を絶する。純粋自己は他を絶する、生滅転成等の一切の変化を絶し、一切の繋縛を脱し一切の上に超越しておる。自己は一切の存在を超越してそれ自身独自に存在し遍在性を持つ。存在の如何なる差別にかかわらず主は絶対に一、純粋自己は存在統一の根本原理、一切万有の差別の絶対高次的統一、一即多、差別即平等、純粋自己がその対象の一切の差別変化にかかわらず絶対の一としてその対象に内在するということが、カントによって受感性の根本形式すなわち現象の統一形式と見られたる絶対時間ということの根拠、純粋自己は絶対時間より根本的なる具体的統一者である。自己は本来一切のものを超越し一切のものに遍在する、一切のものから離脱し、絶対一として一切のものに内在する。イエスが十字架上に死んだということは人間性一切存在からの離脱を意味し復活昇天は純粋自己の獲得を象徴するものである。弥陀の永劫の修行ということは一切存在の遠離を、一切を済度し尽くしたということは純粋自己の発見を表したもの、これらは皆皮相の誤れる自己から骨髄の真の自己に到る経路を示したものと見ることが出来る。真の自己すなわち純粋自己に到る為にはありとあらゆる存在を離脱せなければならぬ。一切の存在を離脱するということは絶対救済に到る必然の経路、完全なる厭世は一切存在の遠離であるから、そこに絶対救済が成り立つ。一切煩悩から離脱したるものが仏であり涅槃、一切の事物から解脱したるものがクリストであり神、仏も神も名を異にする純粋自己、一切を離脱する。本来なる純粋自己に帰るならば其の瞬間に超越性と遍在性とによって無限なる煩悩から一時に離脱する。
