俺も枠も完全統合同一致体だ。まだ少年のように若くて良い男だ。
過去への異常な執着、特定の人や物、事柄に対しての偏執狂的な拘り、妄想的憧れ、今日寝て起きたら今この瞬間にも自分が全くの別人になっているかを毎日毎日期待している。世界そのもの全体全面まで意識は広がる、それでも特定の「部分」に集まる意識がある。それが竹内であり薬であり過去のトラウマ、汚い他人、足腰の負担や中古の自転車、カルシウムのお菓子を食べ過ぎた事、といった事だ。仏教やキリスト教でも（勿論宗派による違いはあるけれど）、感覚的現実世界は些末な派生的世界、重要な根幹はプラトンのイデア的超感覚世界、神と一つになるだとか己の中に世界の根源、宇宙の原理を見出す、全体との合一、そういった事だ。どんな偉大な宗教の創始者だって神秘的体験をした。結局自分の中の内的世界だけ重要なんだ。経済学者が現実に自分の理論の実践どれだけ出来るかなー、「理論の実践」キャンパスに絵を描く、建築家が家やビルを建てる、それでも経済学者の実践は凄い大きい。学者や研究者が強い権力の政治家になれると竹中平蔵のように「自分の理論の実践」が出来る。理論と実践の一致は心地良い。学者が自分理論を実践出来るのは物凄い気持ち良い。今16歳脳、今16歳の軌跡道程の枠だ。
