個人に関して言えば元々各人は時代の子である。哲学もまたそうで、それは時代を思想の形で把握したものなのだ。哲学は現実がその形成過程を終了した時に初めて表れてその後をなぞる。現在の時点に現実の流れを凝固させようとする歴史観の裏目である。国家の統一は現実の流れが円環をとじる終点であると同時に、へーゲルの歴史意識が円環をとじる終点でもあった。へーゲルにとっては歴史意識の安息の地であった。あくなき普遍性を追求するへーゲルにとって、安息は自分も同時代のすべての安息を意味する。歴史意識の安息を見極めた地点に立って書かれている。国家の統一が現実総体の統一に等しいとするなら、国家を最終項とする『法哲学』は現実そのものを総体として完結させ、その完結性は理論体系の内部で十全に保証される。その要求をへーゲルは市民社会と国家の分裂と統一の論理を通じて満たそうとした。市民社会と国家を一つの段階的秩序の中に収め、現実社会の分裂対立の契機と統一の契機をそれぞれに担わせ、最終的にすべてを国家の中に包摂統合するという構想は、文字通りへーゲルの知力と想像力の限りを尽くして生み出されたもので、弁証法の長所も弱点もそこに極めて鋭く露出している。
