偏執狂的に拘る。
こんな字を書き込み入れ印刷し続けるより好みの女性を抱き捲る方が全然したかったよなー・・それさえも全然無理だったか。何時如何なる時もどんな時も自分だけが唯一番で何者よりも優れている絶対確実なる自覚自我自信確信が必要だ。そのもの全体全面の俺の中で内で内部で中心核としての個人単体枠が闘い抜いて行くには若く強靱で絶対圧倒超人的に優れた頭脳精神肉体が必要だ。ますます精神の異常性を増して行く・・ベルグソンの哲学は直観的で一種の経験主義的、実在を流動的に見て純粋持続ということを説く。この純粋持続に緊張と弛緩とある。純粋持続というのはベルグソン哲学の根底をなす考え方、真の実在は緊張した純粋持続、流れる時、空間的世界はその弛緩したものと考える。道徳の世界は固まった閉じた社会と考え、真実在は純粋持続の世界として何処までも流動して進んでいる、創造的進化は閉じた社会を壊して進んで行こうとする、そこに宗教が出て来るというような考え方である。ベルグソンの形而上学の立場から宗教と道徳を見た。ベルグソンは主観から出発し創造を説く。マルキシズムの哲学などは唯客観からのみ考えようとし一方に偏する。主観即客観客観即主観の一如の創造が現代の哲学の中心問題であるといえる。世界を精神から見て行くか物質から見て行くか、ベルグソンの純粋持続は精神的な見方を深く突き進んで行ったもの、私は精神と物質、主観と客観が一つのところに真の実在の意味があると考える。精神と物質と一つの立場は歴史的立場といえる。真の実在すなわち歴史的世界の発展として精神とか物質とかいうものが考えられる。ベルグソンの哲学は精神の方面に偏している。ベルグソンの哲学が現代の哲学に、また広く欧州思想界や文芸界に及ぼした影響は大きいものがあろう。ベルグソンは近世のラショラリズムの傾向に対して直観主義をとり、自然科学的実在観に対して精神的なものを実在と考え、空間的なものを実在と考える考え方に対して時間的なものを考えた。ベルグソンの哲学はロマンティック傾向が濃いといえる。偉大な天才は皆各自に新しい途を切り開いて進んで行く。新たな抽象的思想を定義することは非常に困難なものである。我々が学問的に物を考える時、何らかの立場に立っている。伝来の形式によって伝来のように物を見る時、それは最も分り易い。偉大なる思想家とは、かかる物の見方、考え方の創立者である。先に進むには立場を棄てる。これまでの立場を包んでそれを特殊なる一つの立場と見る物の見方、考え方が要求せられる。例えばアインシュタインの相対性原理というものもそういう意味を有ったものであろう。我々は全く立場を変え新しい物の見方、考え方を生み出す。
