哲学の要求は、あらゆる固定した対立の否定の原理に徹し、制約されたものを絶対者へと関係づけることに徹することによって充たすことが出来る。制約されたものは多様であるから制約されたものの絶対者への関係は多様である。知の一綜体、学の一綜体系を産出しようという要求が生ずる。哲学的思索は、理性の己を確信し己について明晰になる自己認識としての自由への格闘、自由な理性とその行為とは一つのもの、理性の活動は自己自身の純粋な叙述なのである。理性のこのような自己産出において絶対者は己を一個の客観的綜体性へと形成する。自己自身の内に全体を荷い完結しており自己自身を通じて始元と中間と終局において基礎づけられている。かかる全体は、諸命題と諸直観の有機体として現象する。理性の綜合の各々と対応する直観とは共に思弁において合一され、意識〔主観〕と没意識〔客観〕の同一性として、それ自体で絶対者の内にあり無限である。理性、総体性の能力は、相対的な同一性であるものを対立者によって完全化し、両者の綜合によって新しい同一性を産出するが、この同一性自身が再び理性の前では欠陥のある同一性であって、再び補完〔全体化〕される。理性そのものの展開として現象したときに最も純粋な姿で現れる。真なるものは体系としてのみ現実的、実体は本質的に主体、絶対者とは精神なり、この意味での精神は最も崇高な概念である。精神的なもののみが現実的なものである。本質ないし即自的に存在し、自から関わりつつ規定され他在でありつつしかも対自存在、精神とはこういう規定態つまり外自存在のうちにおいて自己自身に留まり、それは即かつ対自的に存在する。自分自身に反照復帰した対象、精神は自分の定住のうちにありつつ自分自身にとって自分のうちに復帰している対象となる。自己を展開し精神として知る精神、それが学〔体系知〕、精神の現実態であり精神が自己固有のエレメントにおいて建設する王国である。思惟する才覚は対象内容の内に沈潜し学び自分を強化する。哲学は芸術と宗教との統一である。精神は自分と対立物とを相共に概念的に把握する。普遍的な概念はその特殊化においてなお自己を保持し自分と他者を二つながら手中に収める態、疎外に向かって進みながら同時にまた再び疎外を止揚する力であり活動、思惟こそが精神の本質であり概念、精神は自分の活動のあらゆる産物に思想をも浸透させ初めて真に自分のものとした場合にのみ精神は究極の満足を得る。宗教の対象は客観性の相における永遠の真理つまり神、哲学は永遠なる神であるところのもの神の本性から流露するところのものの認識である。神の本性は自から啓示され展開する。精神の終局的自己内反照復帰が知を形成する、反照の本性は既に生じている。
