株は全損埋め埋まって仕切り直しだな。 
積み重ね上げた軌跡道程、広げ広がり続けた領域、思考思想的骨子に具体特殊専門的現実を組み合わせる。16歳からの広大な版図、根幹骨芯子から枝葉末節末端まで軌跡道程の通る今中心核全枠からそのもの全体全面まで俺である。人間性は、模型に従って作り上げられ予め指定された仕事を正確にやらされる機械よりは、自らを生命体となしており内的諸力の傾向に従ってあらゆる方向に伸び拡がる樹木のようなものである（Ｊ・Ｓ・ミル）。今日まであらゆる社会の歴史は階級闘争の歴史である。寝ないと精神的に荒廃して滅茶苦茶苦しいわ、寝れば大分リフレッシュして楽になれる、また新たに広がれる。またグッスリ深く眠ってリスタートだ。あの16歳の人生で最も充実した一年未満に比べて、薬飲まされ続けた二年、更にその後も頭呆けたようになって睡眠時間が異常に増えた十年、あの16歳では能力的にも人生で最も高く素晴らしく、どれだけ輝かしい未来が少年に広がっているかと思いきや、何もかも全部一気に壊し壊された。個物と一般の関係、我と汝、私と汝とが絶対否定を通して限定する歴史的世界、非連続の連続の世界、歴史的世界の構造、我々の行動はいつも歴史から出立する。此処、今という処に我々の行動の出立点がある。我々の行動が歴史の発展を意味するところに真の道徳というものがある。過去は未来を有つ、生きた物は常に環境を有つ、環境に処して自己自身を維持してゆくところに真の生命がある。過去はかくあったとか彼と我とはかく違うということは単に特殊なるもの、単に特殊なるものは非合理的、行動の原理としての歴史は具体的原理、主観的に或目的のために構成せられた歴史は歴史の仮面を被った抽象的概念である。能く他を知る者のみ真に知る。唯大まかに西洋は個人主義、東洋は没我主義などという人もあるが、西洋の個人主義的文化は主として近代の事に属する。人格ということでも中世においては神の国に属するものが人格と考えられた。各自独特の特色を有しながら全体を形成するところに真の文化がある。排他的な偏狭な国家主義よりも、我々の歴史的生命の底から偉大なる世界的文化を生み出す。単なる形式主義はレッテル、閉鎖的な島国を飛び出し越えた日本、東洋文化の立場から西洋文化を消化吸収して世界文化に貢献するのは唯我民族のみの有し得る使命である。私の無というのは、西洋の有形文化に反して、形なくして形あるもの、声なくして声あるもの、真に創造的なる生命、主客未分の純真なるものをいう。私の人格というのは、主観的・客観的なる真の歴史的世界の発展において形成せられたる個物をいう。真に理性的なるものは歴史の発展から現れ来る。此処に一般的なるものと個物的なるものと、合理的なるものと非合理的なるものとの深い哲学的問題がある。この根本問題を明にする。従来人格というのは唯個物的なるとか自由意志的なるものとかと考えられた。特に欧州の近代文化において然りである。真の人格は歴史を媒介とする。真の人格の世界は歴史の世界である。歴史とは客観的な歴史、真に客観的な歴史のみ真理を語る。歴史的実在というものを中心として考える、我々がそこから生れ、そこにおいて働き、そこへ死んで行く歴史的実在の世界とはどんなものか、どんな構造を有ったものか、そして種々なる実在界と考えられるものが如何にしてそれに含まれ種々なる哲学的問題が如何にしてそれから考えられるかを明にする。自己というものが何処までも外にいて芝居か何かを見るように眼だけで見ている世界よりは、真に自己がその中にいてその中から見るという立場から考えられた歴史哲学、物質が物質自身を映すとはどういうものか、自己自身を映すという物質とはいかなるものか、意識するということが何処から出て来るか。現実に我々がその中に生きて働いていると考えられる日常性の世界が最も直接具体的世界、歴史的実在の世界、種々なる学問もそこを根拠として考えられて行く。多くの学者は考えられた世界から考える世界を考えようとしている。豊富なる経験内容を抽象化してしまう。常識というものが哲学の基礎となるには何処までも深く基礎付けられる、常識が常識自身を基礎付ける。真の常識が論理的である。論理というのは、ソクラテスプラトン以来、歴史的世界のロゴス的表現から発達して来たもの、何処までもそういう性質を有つ。対象論理とは要するに媒介の論理。世界経済のグローバル化・一体化が一段と進行しており今年５月からは三角合併が解禁になるなど内外での競争は一層激化していくことが予想される。世界的な鉄鋼業界の再編や紙・パルプ業界での経営統合などの動きはそのことを示唆しているといえよう。
