森勉お父さん父親を大成建設役員からトップ社長にしてやれ。
親のがっかりした姿を見るのは嫌だ。つまり俺がそうしてやるんだ。
現実にも世界において絶対圧倒超人的に優れた人間になる。この１２年余りは領域ごと広げ広がり拡大拡張拡充した期間、また再び今一度もう一度16歳から読書勉強と心身の鍛練に励み16歳に16歳以上の今枠となる。今から鍛え込み抜き上げ引っ張り引き出し上げるんだ。どんなに難解な書も超猛スピードで理解し底の底まで裏の裏まで意味を読み取る。もはや背の低さに身体の小ささに小さな身体に低身長に耐え堪え切れぬ、見上げる程の他を圧する大男に周囲を見下ろす摩天楼のような超高身長になりたい！！人は「気」によって生きている。「気」は心と体を活性化かし人を動かし霊能力も可能にする。科学と神秘の融合する万能エネルギーだ。脳に全身体中に何もかも全部が沁み滲み染み込み渡り通り浸透している。現実世界は16歳丹田という一点に集中収斂、全時空間まで時空間を超越し、そのもの全体全面である。意識の上でも神秘学的超自然的にも、そして現実力でも世界も枠も自由自在に出来る。今枠ごと中心核に中心核ごと今枠に矯正しさせされ梃子の原理から始支点としての今中心核全枠である。16歳に今枠を今枠に16歳を組み込み合わせる。今枠と16歳との融和合だ。世界は人間の前に多様な個別存在の総計となって現れる。人間もそのような個別存在の一つである。思考は個々の知覚内容に全体性の理念を付与し、個々の知覚内容は互いに関連し合い、また自己知覚によって獲得されたものにも、他の知覚内容と同じ仕方で理念的性格を考え主観もしくは自我として客体に対比する。理念的性格とは概念であり理念である。思考は始めは自己知覚の中に現れ、自己は思考の助けを借りて自分を主観として表し、自分自身と思考との関係は、我々の人格の大切な人生課題なのである。我々は純粋に理念的な思考存在と感じる。我々は感情を通しても知覚内容を自分自身に関係づける。主観の世界における感情は客観的世界における知覚内容と全く同じものである。我々は自分を先ず今在る者と感じ、そして成長するにつれ漠然と感じられていた自己存在の中に感情と結びついた自我の概念が現れてくる。感情哲学者は全世界を自分の自我の色で染め上げ、一元論者が概念によって把握しようとしている事柄を感情によって獲得しようとし、対象と自分との感情的な関わりをその最も直接的な関わりであると思っている。神秘主義的感情哲学、感情の上に打ち建られた神秘主義は知るべき事柄を体験し感情という個的なものを普遍的なものにまで引き上げようとする点にある。感じることは純粋に個的な行為、外界を主観に関係づけ主観的な体験の中で表現しようとする。人間は思考を通して普遍的な世界の営みに参与する。思考を通して純理念的概念的に知覚内容を自分に関係づけ自分を知覚内容に関係づける。感情の中では客体を主観に関係づける。意志の場合は自我を客体に個的に関係づけることの知覚内容である。働くことが人間性を深め人格を高くする。働くことは人間を磨くこと、魂を磨くことだ。人間出生、本来の使命は宇宙創造の原則に即応して世の中の進化と向上を実現化するという使命をもって生まれてきた、使命の遂行観に基づく自己実現の実感、これこそが生き甲斐なのだ。仕事とは天につかえること。人生は自分探しの旅だ。天の存在を知り自らを省みる。自信とは物事を達成することによってつくられ達成すればするほど実績を出すほど、より大きなものとなっていく。大きすぎる高すぎる目標を設定する。真剣勝負の中で人間は成長し磨かれる。根本的多面的長期的にものを見る。すべてを自分のこととして考える。常に己に帰着させ己が反省する。何処にいても天が見ていると思うから人間は一人静かに改心しようとする。「大学」にある慎独の世界、独り慎む世界が生まれる。「天がもっとお前を鍛えなくてはならないと言ってくれているんだ」粉骨砕身頑張るだけと自分に気合いを入れる。一日は一生の縮図、一刹那一刹那、一瞬間一瞬間、これらの積み重ねが一日に一ヶ月に一生になる。ピンチがやってきたら有り難いと思え。天が我に艱難辛苦を与え給うた。積極的にそれを取り組んで必死になって乗り越えようとするところに人間の成長がある。問題が難しければ難しいほど必死になる。それを乗り越えるために、ありとあらゆる手を考える。そういう体験を通して人は自分の知恵を磨く。ピンチとは知恵も人も磨ける絶好のチャンス。艱難辛苦に感謝すべき、絶体絶命だからこそ思わぬ力が出たり知恵が閃いたりする。艱難辛苦は人間の成長を助ける。そういう意識を大いに高めて日々責任を感じながら働く。そうすれば必ずや大きな力が湧き出してきてピンチをチャンスに変えられる。二元論者が人間の認識能力の越えがたい壁を設け、一元論的世界観の信奉者は現象世界の解明に必要なすべてが現象世界の領域内にあることを理解している。今の特殊な個的な在り方が時間空間的に制約されていると限界がある。認識行為によって現実がその正しい姿をとって現れてくる以前に我々の前に予め現れていた世界は現象世界と呼ばれるが、それは知覚内容と概念を統一体に纏めた本質世界の対極に位置している。世界は二元性として二元論的に我々の前に現れている。認識行為がそれを統一性一元論に作り上げる。或る事物が知覚内容としてだけでも存在できるというのは我々の精神構造の性質に基づいている。どんな知覚内容に対しても宇宙全体の中での相応しい定められた位置を示すことによって思考はこの一面性を再び克服する。宇宙全体における特殊部分を他から区別し、それを知覚内容と規定する限り、我々はその区別することにおいて自分の主観性の法則に従っている。認識行為は人間自身の内的要求に関わる作業である。事物は存在し、そして思考によって見出されるような法則に従って作用し合っている。事物はそのような法則によって一つに結び付いている。そのようなところに我々の自我意識が現れる。我々が知覚内容と名付けたものだけを先ず受け取り、自我意識の内部の力の現実のもう一方の部分（知覚内容と思考作業によって獲得された概念）をも見つけ出す。世界の中で結び付いている二つの現実要素を自我意識が自分の為に一つに結び付けるとき初めて認識衝動は満足する。自我は再び現実に辿り着いた。認識を成り立たせる前提条件は自我を通して自我の為に存在する。自我は自分自身に認識の問いを立てる。自我は自分の内部の完全に明晰で透明な思考要素の中から問いを取り出してくる。我々の認識にとって必要な問いは、場所、時間並びに我々の主観的な在り方に条件づけられた知覚領域と宇宙の全体性に関わる概念領域との相互関係についての問いである。この二つのよく知られた領域を互いに融和させる。認識者の周囲に設けられた壁は一時的なもの、知覚と思考が進むにつれて克服される。仮説的に現実として受け入れた力を通して感覚的に知覚され得る諸事物は相互に作用し合う。個々の個体を越えて働き続ける遺伝の力、個体からそれに似た新しい個体を生じさせる根拠である力によって類が保たれる。有機体の中に働く生命原理もそのような力、魂もまた同様である。近代物理学は感覚内容を物体の最小微
