二つの魂、二つの性質を内に持っている。
彼の中では、神的なものと悪魔的なもの、母性的な血と父性的な血、幸福を受け入れる能力と苦悩を受け入れる能力とが、狼と人間がそうであったと同様に敵対し縺れ並存し絡み合っている。時として稀な幸福な瞬間には非常に強いもの名状し難いほど美しいものを体験する。瞬間の幸福の泡は時として苦悩の海を越えて高く目が眩むほど飛沫を上げるので、この輝く幸福は光を放って魅惑する。幸福の海の上の貴重な玉響な幸福の泡として全ての芸術作品は出来る。その中で個々の苦悩する人間は一刻のあいだ自己の運命を高く超越するので、彼の幸福は星の様に輝き、永遠な自分自身の幸福の夢の様に思われる。精神的なものに神的なものへ近づく試みに聖者の理想に身を任せる可能性を持っている。彼はまた逆に、本能生活に、官能の欲望に身を任せきり、瞬間的な享楽の獲得に全努力を向ける可能性を持っている。一方の道は聖者に精神の殉教者に神への自己放棄に通じている。他方の道は放蕩者に、本能の殉教者に腐敗への自己放棄に通じている。宇宙の中への飛躍を敢行する為に荒野の狼は何時かは自分と対決し自分の魂の混沌の中を深く覗き完全な自覚に達する。彼の曖昧な存在が姿を暴露する。彼は無限の本質から成り立ち数千の無数の極の組合せの間を振り子の様に揺れている。どんな我も極度に多様な世界、星空、様々の形と段階と状態と遺伝と可能性とを含む混沌である。一つの統一体、超個人が出来上がる。高い統一体の中に初めて魂の真の本質が暗示されている。人間は寧ろ一つの試み過渡状態である。自然と精神との間の危険な橋、精神に向って神へと最も内面的な使命は人間を駆り立てる。自然に向って最も深い憧れは人間を駆り立てる。二元性を多元化し君の複雑さをもっとずっと複雑にし、いよいよ多くの世界を仕舞いには全世界を君の痛ましく拡大された魂の中に受け入れる、君が何時か終りに安らかさに達する為には。この道を仏陀が歩いた。偉大な人間は皆歩いた。ある人は自覚しながら、ある人は無意識に、冒険が成功する間は、この道を進んだ。誕生は全て全体からの分離、限定、神からの離脱、苦悩に満ちた新生を意味する。全体への復帰、苦悩に満ちた個体化の止揚、神になることは即ち全体を再び包括しうる程に魂を広げたということを意味する。
自然の中に身を置くと命との対話ができる。春には暖かな風が吹き秋には葉が散り土に還る。そして翌年にはまた葉を茂らせ花実をつける。生死の循環がある。
