繋げ繋がり結び付け付き纏め纏まった一つの全体を考える。
貴重で大事な高値で買ったグチャグチャのゴミのように見えたゲーム郡を馬鹿にされるような事まで言われて｢お値段付かないですねー、これは・・あ、こちらはお買い取り出来る・・ヒーッヒッヒッ・・千円程度の物ですんで、千円ー程度のーモノですんでー・・説明書と箱を探して来てくれればお買い取り出来る物有りますんでー｣｢幾等でもいいんでー｣捨て値で売ってしまって・・この言葉で濁った心による精神疾患も無茶苦茶重かった・・マッサージとかいう奴等の件と病院で馬鹿扱い精神病者扱い精神分裂症統合失調症扱いされ、分かったような口振りで何度も何度も侮辱され好奇の眼で見られた人生最大のトラウマ・・それに更にこの事でケンタッキーフライドチキンで変な内容を書いた紙を女子店員に見られて超大幻滅されたかも・・小学生で何度も泣いてた頃、中学二年のあの問題・・(多分)荒瀧にもセブンイレブン泉川にも嫌な顔され｢レジお願いしまーす｣なんて言われトラウマに・・追浜古本屋店員が人生最大の失敗の後悔？これから抱くんだ。富永にも林彩にも脈あったかも死ぬ気で言ってれば・・阿呆か、俺は・・後悔すべき汚く恥ずかしい過去も書き換え換えられ濁った心も完全に絞り搾り出し抜き飛ばし飛んだ。全体を包み込み全面を埋め尽くすほど領域は広がり拡大している、今中心核枠はその中の存在だ。16歳から広がる中心核に丹田から広がる枠も引っ張られ吸い込まれ取られ一つに合同一致体化される。16歳に軌跡道程に移動して行くから見た目も中身も頭脳精神肉体的に若返れる筈、16歳から軌跡道程ある枠だ。これからは、強引無理矢理にでも自然当然当たり前に鍛え込み抜き上げ変質させ16歳以上に絶対圧倒超人的に優れた個体に成る。そのもの全体全面から俺から今中心核枠に16歳丹田に固め固まる集め集まる。全部の時期あらゆる頃あらゆる時の自分ごと枠ごと全枠ごと全軌跡道程ごと歴史ごと全時空間ごと世界全体宇宙全体全面ごと俺という己を自分自身を一気一挙一時一度に感じ意識しイメージし理解認識し自覚する。神秘体験から霊操が生まれた。この神秘体験は神・人間・世界（自然）を包括する全体知、全体愛である。それは創造と救済の歴史全体を包摂する智慧である。この神の全体知・全体愛の中には、我々一人一人に対する個人的な知と愛が含まれている。この神の個人的な知と愛を知ることによって、霊操者は神と深い交わりに達すると同時に、その神的な全人類を包括する全体知・愛に基づいて、個人的な真の自己に目覚め、全人類に対する自己の使命を自覚することによって、全人類的な真の自己に目醒める。現代は人類全体が、地球人、宇宙人としてこのような人類的な真の自己に目醒め、新しい未来を創造しようと志向している。人類の現代的境位において、霊操が与えようとする全人類的な「真の自己」の自覚は重要な役目を果たす。霊操のもう一つの現代的意義なのである。霊操者の根本的な心構え「大勇猛心と創造主への寛大な心」、全身心を捧げ尽した。このような心構えをもった霊操者の心身は既に「根源と礎」が実現している。霊操者が根源と礎を頭で理解し自己反省することによって、根源と礎が自分の心身全体に実現していることを自覚しうる。隠れた神の創造の活きに基づく自覚、人間存在は神の活きによってダイナミックな方向性が与えられていて、「神を讃美し敬い仕える」という究極目的に向かっている。心構えは目的への志向性の具体的な現れ、霊操者は「根源と礎」を深く省察することによって自分の実存に刻み込まれていた根源的志向性を自覚にまで高める必要がある。自己の根底にまで深く沈潜して省察する。根源的志向性を自覚した霊操者は、それとの類比によって、地上の他のすべての存在者が同じ目的に向かっており、しかも人間の仲介を通してそれを実現しようとしていることも分かってくる。私の意向と行いと活動のすべてがひたすら純粋に神聖なる威厳に満ちた方への奉仕と讃美だけに向けられるよう祈る。デカルトの自己は西田哲学の用語で言えば意識的自己、霊操の自己は行為的自己である。前者は考える主体であり、対象（自然・他者・神）に関与する前に自己に帰るから、主客は対立し、人間と他者、人間と自然、人間と神の間に隔たりが生じ、自然・他者・神は外から眺められる。それに対して霊操の自己は自然の中で働き他者と共同で生き神と関与しながら行動する。この自己は自然・他者・神との交わりの中に立ち、その交わりの中で行為する主体である。この世界においては、神も自然も人間も行為するものであり相互に働きかけ合う。霊操全体は行為的自己の世界において読まれ解釈される。読者が意識的自己から行為的自己に転換してはじめて『霊操』を正しく解釈し実践できる。霊操は実践する本である。 全身の全部の力が吸い取られ抜けて行く気分だ。光と闇の戦場はこの世界の至る所あらゆる時であるが、主な戦場は霊操者の全身心である。神の前に平伏し、どんな困難があっても神の御意志を遂行しようとする。キリストの御受難を観想し、十字架を通して完全に無（ケノーシス）となり、神の御意志にすべてを徹底的に明け渡すものとなる。このキリスト教的な無ケノーシスは禅の無と共通性をもつと同時に、それを遥かに超える。それは神が神性を放棄することである。霊操者の全身心はキリストを復活させた聖霊に満たされ、天上的な歓びと神的なダイナミズムに躍動するものとなる。神からの贈り物も神自身も己に与えられている。このような境位にある霊操者は、最後に愛に達する為の観想を行う。神の愛を悟った霊操者は、すべての所有物及び自分自身を神に捧げる。霊操者は神が被造物に内在し、すべてのもののうちで自分の為に働き労苦されていることを観想し悟るに至る。すべての贈物が上より降って来るのを観る。正義・善・慈悲などあらゆる良きものが、太陽から光線がこの地上全体に注がれているように神から注がれているのを一望のうちに観る。常に神の垂直的な「活き」に生きる。万事において神を観る。活動の真只中で神を観想する。あらゆる出来事の中に、それがどんな苦難を伴うものであれ、神の活きに生き、神を常に観讃美し奉仕する。絶対者である神が有限なる人間を御自分との愛の交わりの中に引き入れられる。自己譲与する神の愛に目醒めた人間は、その神の愛に応えて、自己全体を神に譲与する。神と相互に全体を与え合う人間、神と人格的に交わり愛し合う人間となる。人間存在を最高度に高めるヒューマニズムの究極と言ってよい。ルネサンスの最初のヒューマニスト・イグナチオ・デ・ロヨラ（ローマ、イエズス会の創設者）が目指した神的ヒューマニズムなのである。16歳の軌跡道程の力も今我が枠にあり！！16歳の軌跡道程のある中心核、今枠も其処にある、16歳から軌跡道程から力を引っ張り引き出し上げて今枠の力とする。また無限の力が能力が気がエネルギーが今中心枠の全身に漲り溢れる・・軌跡道程の残し余し残り余ってきた全力もその為に使い切る尽くす果たす。他人絡みの全部のトラウマが体外だ。トラウマは枠の中心核にある。すべての邪な愛着を己から奪い除き去り除去し脱ぎ棄て捨てた後、神の御旨を探し見出す。
