能力的には16歳より大きく激しく遥かに劣るかも・・
それでも広げ広がり続けた領域は現実、鍛えに鍛え込み抜き上げ変質させた個人単体枠も現実だ。人間は偉大と悲惨の中間者である。自らの悲惨を自覚する点で宇宙を超えている。啓蒙とは人間が自分の未成年状態から抜け出ること、暗黒の中で我々の想像力は明るい光におけるよりも逞しく働くのを常とする。人間は自由の自律ゆえに神聖な道徳法則の主体である。カントによれば人間は経験界に関する面では必然的な自然の因果性に支配され、英知界では自己の自由に基づいて自分自身で意志決定をなす。カントによれば、人間が自然の立法者であり対象が認識に従う。認識が対象に従う従来の認識論を１８０度転換、コペルニクス的転回、ここに経験論と合理論はどちらも生かされながら統一された。理性的存在者は自分自身ならびに他の一切の理性的存在者を手段と同時に目的自体として扱うべきである。共通の客観的法則による理性的存在者たちの体系的結合、目的の王国が成立する。この考えは、国際社会における各国も人格を有し、相互に目的とされる考えを生み、カントは『永久平和論』で国際平和機関を提唱したが、それはアメリカのウィルソン大統領による国際連盟の提唱という形で実現することとなった。フィヒテの自我論、すべての存在の成立根拠として自我の存在が必要となり自我を絶対的原理として哲学の全体系を統一する知識学を構想した。シェリングは存在の根拠と存在そのもの、区別を設定し更に差異が生ずる以前の無底の世界を設定し一元論に統一しようとした。主観と客観、精神自我と自然の合一を説く合一哲学、根底に絶対者が存在すると主張した。ベルリン大学総長ヘーゲル、ドイツ観念論の完成者、ドイツ古典哲学の最大の代表者ともいわれる。ヘーゲルはカント・フィヒテ・シェリングなどが探求した主観・理性・自由の問題を更に発展させドイツ観念論を完成させた。カントの場合は個人の内面的な自律と自由を重んじたが、ヘーゲルは理性や自由の問題を現実の社会の中に位置づけて考えた。ヘーゲルは、その時代までの全哲学、各国の歴史と当時のあらゆる諸問題とを自分の学問体系の中に組み込んだ。ヘーゲルは西欧思想史最大体系家といわれている。どのような思想もヘーゲルにすれば自分の哲学の一部なのである。その哲学の体系の中核となるのは、論理学（すべての物事の存在の仕方）、自然哲学、精神哲学の三つどある。法哲学・宗教哲学・美学・歴史哲学も彼の学問体系の内に含まれる。ヘーゲルによれば現実はすべて運動し発展するもの、その運動には法則があるとする。その法則とは矛盾と総合の法則、弁証法（言葉の由来はギリシアのソクラテスの問答法にあるとされ、その原理はヘラクレイトスの万物流転の考え方にあるともいわれている。）、光と闇、善と悪などの様々な対立概念、総合、光と闇は一体となり新たな別の対立概念と対峙する。流動的本性によって諸形態は有機的統一の諸契機、必然的であることが全体としての生命を成り立たせている。ヘーゲルは、法や制度の弁証法的発展は精神が自分自身を現実の内に実現していく過程であると考えた。精神と現実とは一心同体、理性的であるものこそ現実的、現実的であるものこそ理性的、弁証法においてすべてに先立つ総合、絶対精神、全体的体系あるいは法則といったニュアンスで理解する。ヘーゲル哲学は全体として歴史哲学によって貫かれているともいわれ『精神現象学』が意識の発展の歴史だとすれば『歴史哲学講義』は自由が弁証法的展開をもって歴史上でいかに実現するかを説いた。ヘーゲルは歴史とは絶対精神が自由な人間の活動を媒介にして自己の本質である自由を実現してゆく過程であると考えた。世界史上一番最初に自由の精神が生まれたのは古代ギリシアのポリス、キリスト教の出現によって世界共通の普遍的自由に高められたとされる。世界史とは自由の進歩の歴史なのである。私にとって真理であるような真理を発見し、私がそれのために生き、そして死にたいと願うようなイデーを発見することが必要なのだ。ドイツの疾風怒濤運動、啓蒙思想が知性偏重の傾向にあったのに対する反動、個性と意欲と自然を尊重して文芸界に清新の気を入れる、フランスのルソーや英文学の影響を受け青年期のゲーテ・シラーなどが中心となった。
唯我らが君を偲ぶよすがとする。永遠の過去から永遠の未来へ去り行く時の流、虚幻の世、人の世に人ほど貴きもの、我らの生涯の軌道の上に映じ来れる美しき星の光、余光を我らの生涯の上に留めたいと思う。アリストテレスの形而上学が思索に新な生命を与えるようになった。近代哲学の考え方に行き詰った結果、もっと広い自由なる立場を求めて古代の哲学に返った。アリストテレスの考えた実体という如きものは近代哲学の立場からは抽象的か、それは極めて包括的、すべての方面に貫通せる彼の組織力の偉大さに敬服した。彼の書から多くのものを学び得た。プラトンの哲学の底、死とは何ぞ、生とは何ぞ、永遠の生は何処に求むべきであるか。プラトンのイデヤというのは色々の意味を有っている。古来考えられた如く永遠不変なる形而上学的実在として真の原因という如き意味、真理の標準という如き意味、ソクラテスの人生問題に源を発したプラトン哲学のイデヤは固、実践の意義を有し、それから色々の問題に触れ色々の意味を包み込んだと考えられる。何処まで行っても基調のまま、善のイデヤに始まって善のイデヤに終ったという如き見方もできる。ダイモニオンの声を聞き得たソクラテスにはソクラテス的イロニーの態度で良かったであろう。深い思索の力と芸術的直観に恵まれていたプラトンはイデヤを見出した。哲学的思索の根源たるエロスはダイモニオン、イデヤは永遠なる生命の内容として見られる。
